長崎原爆で被爆し、後生に平和を訴え続ける 山下 栄さん 西寺尾在住 88歳
音楽好む平和の語り部
○…「窓から飛行機音がする方角を見上げた瞬間、強烈な閃光と爆風が全身に覆いかぶさってきた」。1945年8月9日午前11時2分、長崎に投下された原子爆弾。当時18歳、専攻科に通う女学生だった。爆心地から約3・3Km離れた自宅で直接被爆。自身は九死に一生を得たが、街は壊滅的な被害を受け、多くの知人の命も奪われた。「250人の学友が亡くなった。原爆症で苦しんだ人数は定かではない」と嘆く。
○…長崎市出身。事業家として理容店を営む両親と、6人の兄に可愛がられて育った。海水浴場が近く、泳ぎが得意。小学生の背泳ぎ部門で全国5位の入賞経験もある。その一方で、兄の影響で幼い頃からクラシックに親しみ、小学5年生でバイオリンを習い始めた。すぐに頭角を現し「音楽家になる」という将来に疑いの余地はなかった。
○…女学校2年、上京を模索していた矢先に東京大空襲が起こった。「心配する母の気持ちをはねのけることはできなかった」と夢を断念。専攻科への進学を余儀なくされた。戦後、戦勝国に家や田んぼ、山などの財産を没収された。卒業後は家業で経理を担当。28歳で結婚し、1男1女を育てながら、親子が定期的に舞台鑑賞する会員制劇団「おやこ劇場」の運営委員長や事務局長を歴任。「子どもに愛を、たくましく豊かな創造性を」をモットーに長く情熱を注いだ。
○…70歳の節目で、子どもたちの住む神奈川区に移住を決断。「故郷との別れは寂しかったが、孫の成長を見られる」と目を細める。10年前から週4回はジムに通い、プールで汗を流す。それまで狭心症の発作に苦しんでいたが、「薬がいならくなった」と喜ぶ。自宅には電子ピアノやクラシックCDが並ぶ。「音楽のない生活なんて考えられないわ」。もうすぐあの惨禍から70年。語り部も少なくなってきたが、被爆者の使命として、今後も平和の大切さを伝え続けていく。
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