11月18日の任期で勇退する阿部孝夫川崎市長(70)にインタビューを行った。川崎市政3期12年を振り返り、行財政改革などについて語ってもらった(聞き手/タウンニュース川崎支社支社長、原田一樹)。
――市長に就任してから12年間、振り返って率直な感想はいかがですか。
「よく走り続けてきたなと思います。土曜日曜の行事も多いですから。休みなく動き回ったなという感じですね」
――就任当初、川崎市は厳しい財政状況でした。
「あのままやっていたら、完全に赤字転落、財政再建団体になっていたでしょう」
――財政の立て直しには、どのような信念で臨んでいましたか。
「新しい時代は、右肩上がりではない。高齢化してくるし、収入が増えない。それを見越して厳しい目で行財政改革をやってきた。まず市役所職員の数を減らす。合理的でない手当を削るなど人件費を削り、組織をスリムにした。また、敬老の日に70歳以上の人に現金を配るなどの市民サービスを見直してきた。そしてハード系。高度成長期の延長みたいな事業、例えば新川崎のドーム球場など色々と計画があったものを整理して、できるだけお金がかからないようにやってきた。この3本柱です」
――改革を断行してきましたが、原動力は。
「川崎が将来、街としてなりたたないことがあると困る。将来にわたって良い街であってほしいという信念ですよ。川崎に住んで『ここで一生過ごすのだろうな』と思ったら、自分の住んでいるところは、しっかりしなきゃという使命感で選挙に出ました。それを貫いてきたわけです。実際、私が住んでいる街として誇れるような街にしてきた。自慢できる街ですよ」
――緊縮の一方で、芸術や文化、特区など魅力を足す作業もしてきました。
「川崎は人口140万人の大都市ですから。どんな材料だってある。そのなかで自慢できそうなものとか、新しく伸ばせそうなものに手をつけてきた。
音楽のまちもミューザ川崎シンフォニーホールという立派なホールができあがっていて、ホールを使いこなすだけの音楽の街にするために働きかけてきた。そういう意味では前の高橋清市長のおかげ。あるものを最大限に活かす。もともとあるもので、よそに対して自慢できるものを伸ばす。極めて合理的に発展していきます」
――これはうまくいったと思う事業は。
「音楽のまちづくり。そして環境技術で国際貢献。環境技術を成長戦略に位置づけた。川崎は公害でマイナスだった。それを乗り越えようと必死にがんばってきた。他と同じレベルにとどまらない。必ず上にいく。それが国際社会で売り物になる。公害経験が川崎の最大の財産でした」
――やり残したことは。
「ハード系の交通網整備でしょう。環境に負荷をかけない新しい鉄道を整備したかった。しかし、国との関係で駄目になってしまった。縦方向の道路網も整備したかった」
――今後の川崎市の理想像を教えてください。
「産業面で国際社会に貢献して、世界の中心機能を担ってほしい。それを担う子どもたちが育ってほしい。日本はこれから国際社会で貢献しなければ生きていけない。川崎は産業の拠点。ライフイノベーションはまさにそう。環境も同様です。研究開発機能は日本一ですから」
――今までの自身の活動を振り返ると何点ですか。
「90点。あと10点は交通網と待機児童、高齢者対策が充分ではなかった」
――今後の活動は。
「国会人事で、マイナンバー制度に伴う特定個人情報保護委員会の委員に選ばれました。日本の役に立つことに協力していきたい」
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