昨年春、自らの意志で市立坂戸小学校を離任し、東日本大震災で被災した岩手県大船渡の小学校に転職した教師がいる。富山(とみやま)準也さん(27)だ。若い教師の人生を変えた震災発生からもうすぐ2年。富山さんに話を聞いた。
日本人として何かできないか―。一昨年の震災発生後、ボランティアとして被災地入りした富山さんは、甚大な被害を目の当たりにし、大きな衝撃を受けた。
当時、担当していた2年生の児童に被災地の話を伝えると、小さいながらも真剣に震災のことを考える姿があった。富山さんは、その後もボランティアを継続。現地の子どもたちに接する機会が増えるにつれ、少しずつ「何かをしてみたい」という気持ちが増した。震災に負けずに前に進もうとしている子どもたちがいる。「歩きやすいように道をつくってあげたい」。被災地に行くことを決心した。
坂戸小の高橋邦夫校長は富山さんについて「子どもに人気があって離れるのは惜しかったが被災地の先生が足りないと聞いていたので『復興のためがんばってほしい』と背中を後押しした」と振り返る。
「僕の背中を見てほしい」
坂戸小学校で2010年度から2年間、2年生を受け持った。憧れだった教壇に初めて立ったのが坂戸小。思い入れのある学校を自ら離れ、被災地に行くことを決めた理由について、「子どもたちは人を見ている。僕の背中を見て、『いつか先生みたいなりたい』という子どもがいたら教師としてすごく幸せ」と語る。
被災地に行くため坂戸小を離任したが、東北での就職先が決まっていたわけではない。1月と3月に勤務希望を提出していたが、現地の教育委員会から返事はなかった。そこで4月から住む家もない状況で単身岩手県に。現地で知り合った人の家に居候しながら、就職活動し、岩手県の大船渡北小学校の勤務が決まった。
着任後、被災地で様々な支援活動を続けているなかで、印象的だったのが七夕のイベントだった。短冊にかける子どもたちの願いは様々だ。そんななか「家がほしい」と書く子どもの姿があった。「家族を亡くした子もいる。だけど、私にとって家が大事」。そう遠慮がちに語る姿に、子どもたちが抱えているストレスの大きさに気づかされたという。
「被災地で見たありのままの姿を伝えたい」。その想いは、今年1月に早くも実現した。坂戸小で被災地の話をする機会を得たのだ。「かつての教え子に直接語りかけることができて嬉しい」。2月には高津区で開かれた講演でパネリストを務めた=写真。「今私たちができること。震災を風化させないこと」。若い教師の熱い想いが会場に響いた。
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