高津物語 連載第八三一回 小説『快走』と『家霊』
今年の共通一次試験『国語』問【3】は『源氏物語』からで平均点は五〇点とか。
問【2】は作家・岡本かの子の短編『快走』からの問題。
二子橋から多摩川堤防を疾走するのに、家の者の目を掠めるため二子風呂屋を使う、という短編である。
かの子は「快走」後、死一年前の昭和十四年に短編『家霊』を書いた。書き出しは、「山の手の高台で電車の交叉点になっている十字路がある。十字路の間からまた一筋細く岐(わか)れ出て下町への谷に向く坂道がある。坂道の途中に八幡宮の境内と向き合って名物のどじょう店がある」と東京、飯田橋駅界隈を思わせる情景を描いている。
文中どじょう屋「いのち」前の「八幡宮」は「筑土八幡宮」―上野寛永寺末、今は隣に厚生年金病院が建つ。その手前が「神楽坂」。坂を登り、直進すると牛込、新宿。右に下ると「八満宮」、左に行くと東京理科大学、法政大学、市ケ谷の防衛庁から四谷駅に出る。
短編『家霊』は、かの子自身が背負った旧家の家霊そのままに、どじょう屋「いのち」の帳場を預かる三代にわたる女の物語である。
片切彫の名工徳永老人が出前一回ずつの金高が積もって百円以上に停り、三代目が思案に暮れる物語。
「食われる小魚も可哀想になれば、食う私も可哀想だ。誰も彼もいじらしい。」「実を申すと、勘定をお払いする日当はわしにもうありませんのです。体も弱りました。仕事の張気も失せました。唯々永年夜食として食べ慣れたどじょう汁と飯一碗、わしは是を摂らんと冬の一夜を凌ぎ兼ねます朝までに体が凍え痺れる。今夜、一夜は、あの小魚のいのちをぽちりぽちりわしの骨の髄に噛み込んで生き延びたい」。三代目のくめ子は、料理人の誰も居ない料理場で、老人のために、どじょう汁と飯櫃を造り「御飯冷たいかも知れないわよ」と差し出した。―徳永老人は段々痩せ枯れながら、毎晩必死とどじょう汁をせがみに来る。
かの子は生家、大貫家の家霊体験を、江戸の伝統的な職人世界に拡大し、独特の文学世界を構築した。
がそのことが溝口の神霊世界の拡大したものとは、気付くことも無かった。
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