高津物語 連載第八六二回 「いやのめ」
久地伊屋之免遺跡に使われた「いやのめ」を調べているが、『新編武蔵風土記稿』の長尾村の項に「東西凡十五町半、南北へは二十三町に余れり。村内大抵二区に分れ、南の方を神木長尾と云山丘多くして渓谷あり、されば近き頃土俗改めて谷長尾と呼べり。この辺、地形高低ありて旱損(著者註―「かんそん」と読み、意味は「日照りのために生じた田畑の損害の患あり」)とある。現在の状況を述べると、南武線津田山駅を下車して緑ヶ丘霊園を北方に進んで行くと、霊園の最終地点の北端に行き着く。
そこから左の道に北に向って歩いて行くと、左側に「神奈川県立東高根森林公園」の降り口がある。
そのまま、さらに北に向い歩いて行くと「東名高速道路」にぶつかる。
下を東名川崎インターに向かう車を見ながら、東名に掛かった陸橋を渡り、多摩区長尾に入る。
長尾はもとは「高津区」だったが、住民投票で「多摩区」に編入替えになった場所だった…等と考えながら陸橋を渡り切る。
陸橋の右の方向に、東名高速道路の出来る前、この辺りの野の仏として、住民の祈りの対象であっただろう野の地蔵様、三・四体が綺麗に安置されているのに出会い、嬉しくなった。
早速、同行の人々とニコニコ顔で写真に収まった。
民俗学では「いやのめ」をどう解釈し、どう定義付けるのか―手許の『日本民俗語大辞典』で調べてみたが、「いやのめ」の語句全部は出てこなかったが、「いや」は「祖・禮・親」の語源で、徳島県の「祖谷山(いややま)」の「祖」を、子音イヤを保ち、大分県直入郡では、叔父をイヤサマ、和歌山県日高郡では、巡査をイヤサンと呼ぶ。このように礼をすることが古くはイヤであった様で、本家をイヤ・イヤネ(イヤの家)というのもこれだ、という。「親」が敬われる人であった様に、イヤはその礼を受ける家・人の名でもあったイヤ・ウヤ共に敬礼する時の音声を、写したものかとある。長尾の東名高速道路を渡るとき、ここが高い山だとすれば、「イヤノメ」は「祖・禮・親」の存在だった様な気がした。
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