神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS
高津区版 公開:2014年10月10日 エリアトップへ

高津物語 連載第八六三回 「二ヶ領用水と市民」

公開:2014年10月10日

  • LINE
  • hatena

 (標題は極めて暫定的であり、本趣を直接表現するものではない事を、前もってお断りして措きたい)

 三輪修三氏は「川崎―歴史と文化』(多摩川出版社)で、明治以降多摩川が決定的に変わらざるを得なかった三つの理由を挙げている。

 その一つは、明治初期に明治政府によって施行された旧河川法で、この法律により主要な河川は全部国家管理の下に置かれる事となったことで、地元とのつながりが希薄となった、こと。

 早い話が今問題にしているニヶ領用水久地村の上流の話でさえ、もう記憶から遠ざかり、知る人は居ない。

 三輪さんは二つ目に多摩川の変わり様は、コンクリート護岸造成だとされる。

 このテーマの主役を担って登場したのが、現在津田山駅前のスーパー・マーケットと川崎市立下作延小学校の場所に戦前・戦後を通じ、盛んにヒューム管を製造していた日本ヒューム管川崎工場だったから、多摩川とニヶ領用水のコンクリート堤防は、この工場の出来た戦時中に輪郭が出来上ったとされている。

 ニヶ領用水で最も面白味の薄い円筒分水から久地駅迄の味気なさは、何回行ってもつまらなく、味気ない。三輪さんの言う「ますます自然と乗離していく川・地域と離れていく川・おとなしい川」と、詰らない川に変わってしまった。

 『高津物語』上巻「国木田独歩(十四)で紹介した

「溝口の方へ流れて行く用水は、久地の梅林のある少し手前で、大堰を作って、溝口の方に流れているが、その堰の辺りも、丘陵が迫って来ていて感じが好い。夏行った時には、そこで村の子供らが銅の様な肌をして、河童のように潜ったり飛び込んだりしていた。」と書いた自然主義文学者・田山花袋の『東京の近郊』(角川文庫)に書かれた記述は、この土地に生きる一人として、誇り高く紹介したつもりだった。

 が花袋の書いた年代が三輪さんのニヶ領用水よりも五十年、あるいはそれ以前も前のニヶ領用水だった、と考えると、コンクリート護岸工事の味気なさ、無味乾燥さを、改めてつくづく感じさせられるのだ。
 

高津区版のコラム最新6

市民健康の森だより

不定期連載

市民健康の森だより

第130回 橘小学校3年生の「総合学習」でひと役

3月29日

GO!GO!!フロンターレ

市民健康の森だより

不定期連載

市民健康の森だより

第129回 「里山保全教室」今年もスタートしました

3月22日

溝ノ口劇場

溝ノ口劇場

好評企画「オープンマイク」が久しぶりに復活します!

3月22日

GO!GO!!フロンターレ

違っているから、おもしろい!

不定期連載コラム

違っているから、おもしろい!

第25回(最終回) これからも多文化、異文化を楽しんで!

3月22日

意見広告・議会報告政治の村

あっとほーむデスク

  • 5月20日0:00更新

  • 4月15日0:00更新

  • 4月8日0:00更新

高津区版のあっとほーむデスク一覧へ

コラム一覧へ

高津区版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2024年3月29日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook