寄 稿 人々の心を離れた復興計画を見た 川崎市議会議員 いのまた美恵
今年も10月に、被災地を訪ねてきました。
大槌町は14・5mの防潮堤への賛否が大きな問題になっていました。国が震災3か月後に基準を作り、6か月後に県が防潮堤を決定しました。住民の意見を聞いて決めたとのことですが、震災直後の市民は恐怖や、悲しみが癒されておらず「早く防潮堤を作ってほしい」が大半でした。しかし3年半たった今、1万5400人いた人口も8000人に減り、新たな街づくりを模索し始めました。先日、町が発表した14・5mの防潮堤津波シミュレーション結果では、14・5mの防潮堤を津波が越えた場合、現在想定しているより被害が拡大するとなっていました。住民は「どんなに高い防潮堤を作っても自然を制することはできないのだから、避難路や避難ビル等が身近にあれば良い」と言っています。
次に訪ねた陸前高田市は山を崩して町中張り巡らされた銀色のベルトコンベアーで土を運び、土盛りをしていました。土煙舞う未来都市のようでした。
次に気仙沼市は、港周辺のインフラ整備と嵩上が進み、港らしい活気が戻って来つつありました。沖合に浮かぶ大島は3000人が住む観光地ですが、ここも防潮堤問題が起きています。3・11の寄せる津波と引き返す津波が大島の真ん中でぶつかり大変な被害を受けました。今16m近い防潮堤計画が進められようとしています。大学生による住民アンケートでは、9割の住民が、緊急放送や食料備蓄でいいと答えているにもかかわらず、計画は消えません。気仙沼市杉下地区では、市の避難場所に指定されていた小高い丘に避難した住民93人が津波で亡くなったそうです。鎮魂碑が建てられていました。毎年訪れる被災地はまだまだ平穏を取り戻したとは言えない状況です。そして住民の心と関係ないところで土建国家日本の復興が進んでいると強く感じました。
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4月26日