高津物語 連載第八九九回 「国宝 秋草文壺 その2」
昭和十七年四月幸区南加瀬で道路工事中に発見された『秋草文壺』は、早くも旧国宝に指定された。
所有者は慶應義塾大学(文学部)である。
二〇〇九年一月東京国立博物館表景館(第一会場)本館特別二室(第二会場)で開催された『未来をひらく慶應義塾創立百五十年記念―福沢諭吉展』の第七部「たしかめる共感―福沢門下生による美術コレクション」で、第一会場表景館会場七―一三九「秋草文壺」―朝鮮時代十六世紀、東京・慶應義塾」として期間中展示されたものだ。
期間中発売された厚さ四cmの大部のアルバム(久本、堀内寿雅子様所有)の説明書きによると…「秋草文壺(Vase with Autumn Grases Motif)は一口、平安時代・一二世紀。神奈川県川崎市幸区南加瀬出土。高四〇・五cm、口径十七・六cm、底径十四・二cm、東京・慶應義塾」コレクションの説明があり、左脇写真が掲載され「第六天古墳(川崎市南加瀬)の発掘を視察する当時の塾長小泉信三」の説明文も掲載されている。
「昭和二十八年(一九五一)陶磁部門の国宝第一号となった「秋草文壺」は、日本陶磁を代表する名品の一つである。渥美窯の絵画文壺で突帯と並行沈線で画された肩部を中心に、口頸部から胴部に三段の絵画文を描く。肩部には丁寧なタッチによる芒・柳・瓜等を一周させ、灰釉がこれらを立たせている。
一方、口頸部には芒や蜻蛉、胴部には大柄な芒を描いて変化をつける。自然釉の効果もあり、全体で秋の枯れた風相を醸し出す。
昭和十七年(一九四二)に日吉キャンパス東方約六〇〇mの台地の裾で発見され、一帯の考古学調査を進めていた慶應義塾の所蔵となった。
出土地は古代末―中世の墓地遺跡で、南宋の白磁壺も出土している。
本例を含む蔵骨器の優秀さや中世加勢荘との関係など、遺跡の考古学・歴史学的重要性にも特筆すべきものがある」と安藤という人が説明文を添えている。
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