高津物語 連載第九〇三回 「秋草文壷」
「秋草文壷」は骨壺。当然のことながら、壷の中に人の人骨が入っていた。
「秋草文壷」に人骨が入っているのを見て気持ちが悪くなり、持ち込んだのが慶応義塾大学だった。
人骨が入っている「壺」を見たら、どんなに素晴らしい「壺」であっても、普通の人なら、先ず気持ちが悪くなるに違いない。
その「秋草文壷」は高さが四十一・五センチ、口径は十六・七センチ、胴径は二十九・四センチ、底径は十三・六センチと大きな壷である。
「壺」に書かれた文様が秋の草であった、という理由で「秋草文壷」と名付けられた。
「秋草文壷」はラッパ型に大きく広がった頚部の口縁部内面に「上」の文字が刻まれ、外面の胴下半分には、風になびくススキが左右二方向に配されていて、肩から頸の付け根には、対置した二方向のススキが、画面一杯に描かれている。
更に頚部にもススキやトンボ、規矩紋が流暢な線刻で描き上げられている。
頸から肩にかけて、線の上を黄緑色の自然の釉薬が覆いつくし、さらに胴体の下半分の部分には渥美窯独得の黒褐色に焼き上がった、何条かの自然の釉薬に濡れたススキが垂れ下がっている様子は、言葉で言い尽くせない程の素晴らしさである。
線刻画の構成と云い、器肌の独得の色調と自然の釉薬とがマッチして、この「秋草文壷」程に良くマッチし、一体化した壷はない。
この素晴らしい景色こそが「秋草文壷」を国の重要な宝物―国宝に位置付けている最大の理由なのである。
その意味では、雅やかな趣や味わいがある秋草の文様は、当時の貴族階級が好んだ中国絵画の影響から分離して起こった、日本独特の絵画表現である当時の大和絵の世界を陶器で再現したかに見える見事さである。
「秋草文壷」に描かれたさまざまな文様を見る度に現世の人々は、ひたすら、故人の極楽浄土での安泰と平安を求めて、少しでも豪華な器に納まりたいと願って、高価な渥美焼の壷を生前に自ら用意したのではないかと思われる。
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