高津物語 連載第九三六回 「松尾大明神社碑」
「松尾大明神社碑」は、大山街道下宿、溝口二丁目の溝口神社を入って、参道右側一番手前に建っている。
石碑の台座は、横七十八cm、高さは九十cmで、石碑の高さは一二七cm、奥行きは四十三cm、幅は十五cmである。
台座表面の文字は「松尾大明神講中発願者」の、長尾村 酒屋蔵、菅生村 斉木氏、深谷村 紀伊国屋蔵、常久村 油屋蔵、石原宿 東屋村、連雀村山 岸屋蔵、石神井村 油屋蔵、久が原村 油屋蔵、大沢村 高橋氏、久が原村 金子氏(下部に「釜岩忠松願報左七」の八字が読めるが、土に埋もれていて読めない)。
「世話人」は、長尾村 万屋蔵、神名川宿 海宝蔵、菅村 稲毛屋蔵、銚子長塚村 大直氏が列記されている。
「松尾大社」は京都市西京区に鎮座する旧官幣大社「松尾大社」で、古くから松尾山を御神体とする原始信仰の社で、祭神は大山昨神と市杵島姫命。
平安京に都が移されると東の上賀茂神社、下鴨神社と共に、西の松尾神社が王城鎮護社として重視された。
松尾神社は「酒の神」として古くから信仰された。
武蔵府中の大國魂神社にも、江戸時代後期の寛政十二年(一八〇〇)に武蔵国の酒造家の求めに応じて松尾神社が末社として、本殿東側に建てられ、現在も酒造会社や酒類販売業の人達の信仰が厚く、毎年九月に例大祭が行われるという。
溝口大山街道の「松尾大神宮碑」は、大山街道下宿「鹿島屋材木店」の敷地内に建てられていたという。
街道から約十m入った所に、高さ十m八十cmの築山があり、円形周囲は三m九十cm、頂上に「松尾大明神社碑」が建っていて、そこは水の出る「水場」だった。
明治一〇年代に溝口神社境内に移されたようだ。
碑の建てられた文政五年(一八二二)は、前年に「溝口水騒動」が起こった経緯があり、川崎宿の暴徒が二ヶ領用水「大石橋」際の溝口宿名主、丸屋、鈴木七右衛門邸を襲い、乱暴狼藉を働いた翌年に当たり、「松尾大明神社碑」の建立は、溝口稲毛屋上田家の厄払いを込めての、碑の建立ではなかったか、とも思われる。
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