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高津区版 公開:2016年9月9日 エリアトップへ

高津物語 連載第九六一回 「戦時下の高津(三)」

公開:2016年9月9日

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 「空襲」とは「航空機から機関砲、爆弾、焼夷弾、ミサイルなどで地上目標を襲撃すること」とあり、「――警報」が付属語として掲載されている(『広辞苑』第五版)。

 戦時中、空襲警報が鳴り響くと、我が家では牡丹(ぼたん)の植え込みを引き抜き、地面を掘り返した場所に急ごしらえで造った防空壕に避難するのを、常とした。

 自宅に防空壕がない人々は、津田山の連合町会の共同防空壕へ避難したらしいが、詳しくは分からない。

 ところで、高津町役場管内に「空襲警報」を知らせるトランペットが、七面山頂上に約三メートルの高さで、コンクリートの四本脚の上にセットされた。

 空襲警報発令と同時に高津町役場管内に鳴り響いたものだった。

 この警報機がいつ頃だったが、正確には分からないが、戦中に建てられたのは確かである。

 四本か六本のトランペット・ホーンの様な金管が空襲の度毎(ごと)に、高津町役場の係官が押して、鳴らした。

 高津町全域に空襲警報が発令されると、このトランペットが、管内全域に鳴り響き、実によく聞こえた。

 これを聞くと同時に、老いも若きも、みんな防空壕に駆け込んだものだった。

 戦後四本か六本のトランペットは除去されたが、四本のコンクリート土台足は壊せないので、戦中の姿のまま今も残っている。

 冬の木立が葉を落とした時分には、はっきりとコンクリートの土台足が肉眼で遠目にも見ることが出来る。

 もちろん、溝口神社の辺りからも、はっきりと見ることが出来ると思う。

 高津小学校の二十五周年記念として「よく働き、よく学び」のお手本として、当時の生徒の献金で作られた二宮尊徳の銅像が、高津小学校の府中県道から見える場所に建っている。昔のままで変わっていないが、高津小学校の歴史を読むと、初めは銅製の「銅像」だったらしいが、献納(懐かしい言葉で、涙が出そうである)して、今はコンクリート製が立っている。

 昔あった「奉安殿」は、溝口神社の左隅で今も見る事が出来る。
 

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