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高津区版 公開:2016年10月7日 エリアトップへ

高津物語 連載第九六五回 「疎開・学徒動員」

公開:2016年10月7日

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戦時中、女性たちの防火訓練
戦時中、女性たちの防火訓練

 戦争が激しくなった昭和十九年八月十二日、神奈川県は「横浜・川崎・横須賀三市の学童集団疎開実施を関係市町村に通達、このため川崎市は宮前国民学校で校長会を開き、疎開先として市内西北部、神奈川県下足柄下郡の大山・伊勢原等十三か所に児童集団疎開を決定した。またこの月、学徒動員令により市内高等科以上の学童で勤労報告隊が組織され川崎市内の工場、農家などに勤労動員を行った。」(『川崎市史』年表)

 三年生以上の児童は、集団疎開で神奈川県高座郡高部屋村に疎開することとなった。私は田辺団治先生や、付き添いの桑島理髪店の叔母さんやチヤコさん、同級生の仲間を学校中廊下で見送った事を思い出す。

 昭和十九年、現高津図書館のある本校を「日本光学溝口工場」に譲渡、末長のバラック校舎に移転させられた高津高等女学校(現高津高校)は、昭和十九年八月一日、光が丘(末長)の地に引っ越したが、殆(ほとん)どが工場動員に駆り出された。しかも終戦直前の昭和二十年四月からは、乞食(こじき)の様な陸軍の竹槍(たけやり)部隊の宿舎となり、空襲の被害を受けて破損し、見るも惨憺(さんたん)たるありさまとなってしまった。以下、高津地区で唯一爆弾が投下された二子五丁目の佐々木さんのお話・・・。

 「女学校に入ってすぐ昭和十八年頃、一機だけ米軍機が来たんです。この辺りは62部隊がある、日本光学がある。それを偵察に来たんでしょうか、(高津駅の南側の)二子五丁目の方に、爆弾を落としていったんです。高津駅の屋根に穴が開いたり、家の破片が飛んだり、被害にあった家の周りはロープがはられ、通行止めでした。爆弾の一発は防空壕の上に落ち、お嫁さんが亡くなったとか。爆弾の落ちた家は爆風でやられ、庭にあった敷石が飛んで、隣の家の床の間に落ちたんです。屋根を突き抜けたそうです。その家でも怪我人は出なかったんですけど。」(「高津区御話アーカイブ(二子地域編)」)
 

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