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高津区版 公開:2016年11月4日 エリアトップへ

高津物語 連載第九六九回 「諏訪河原の領主 清水亀菴(きあん)」

公開:2016年11月4日

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諏訪の一本松の碑
諏訪の一本松の碑

 諏訪河原は、小田原北条旧臣諏訪頼久が諏訪と名付けて開発した。後に小黒と改名して帰農、村高は一六八石余であり、他に見取地(新田開発で土地は劣悪)、毎年坪刈(一坪の稲を刈り取り、これを基礎として全体の収穫量を算出する事、歩刈りして納米額を定める)が三三石三反余あった。

 村の約八割を領有したが、そこは災害を受けやすい多摩川の氾濫域で収穫は不安定であったが、都筑郡恩田村(青葉区)、埼玉県笠原村(鴻巣市)を合わせて、七百石を支配していた。

 領主は清水一庵で「開闢(かいびゃく)ノ時ヨリ御料ニテ正保四年(一六四七)清水一庵ニ村内八割ヲ分チ賜ヘリ、孫亀菴ノ代、承応二年(一六五三)ソノ土地モ上地トナレリ、此後ヒト歴テ増上寺御霊屋料トシテ江戸巣鴨ノ代地ニアテラル」(『新編武蔵風土記稿』諏訪河原村)とある。清水一庵は瑞室・亀菴法印と呼ばれる医師でもあった。

 寛永九年(一六三二)、三代将軍家光に拝謁、家光の御典医となった。見立て(診断)、投薬に誤りなく家光、娘千代姫、家綱(四代)等の病を治した。同十六年には、人見玄徳と共に五百石を与えられ、法橋(ほっきょう)(法眼に次ぐ医師の位)に叙せられ、二代目瑞徳は、延宝四年の江戸時代、大名、旗本の氏名、系譜等を記した書「武艦」に名が残っている。

 三代目某は脇書きに瑞庵、亀菴とあり、延宝八年(一六八〇)、父の跡を継いだ。

 元禄三年(一六九〇)九月十九日、幕府医師団に粛清の嵐が吹いた。理由は「家業に勤め励む旨の仰せ出しに怠ったこと」が上聞に達したからという。これにより清水一庵を筆頭に十一人が追放刑とされ、江戸、近在に居ることが禁じられた。

 他に二十一人が小普請入りの無役となった。閉門(武士、僧侶等に科した禁固刑、門扉を固く鎖し窓を閉じ、昼夜共出入りを許さない。蟄居より軽く、逼塞(ひっそく)より重い)以上の罪の旗本が、赦免前に死ぬと改易(所領、家禄、屋敷を没収、蟄居より重く、切腹より軽い)になり、清水家は絶えた。
 

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