高津物語 連載第九七〇回 「高津図書館の歴史【1】」
「全国ノ教育事務ハ文都卿之ヲ統摂ス故ニ学校幼稚園書籍館等ハ公立私立ノ別ナク皆文部卿ノ監督内ニアルヘシ」。明治十二年(一八七九)公布の教育令第一条である。
自由民権運動終息後は、国策として「殖産興業・富国強兵」の国家目標実現のため、「国家有為の人材育成」目的以外の教育活動は、一切無くなった。
戦前日本の図書館は明治三二年の勅令「図書館令」第一条「北海道府県郡市町村(北海道及沖縄県ヲ含ム)ニ於テハ図書ヲ収集シ公衆ノ閲覧ニ供セムカ為図書館ヲ設置スルコトヲ得」とあり、第五条には「図書館ノ設置廃止ハ其ノ公立ニ係ルモノハ文部大臣ノ認可ヲ受ケ其ノ私立ニ係ルモノハ文部大臣ニ開申スヘシ」と規定された。
が、神奈川県は図書館の無い県で、明治三五年一月二二日『横浜新報』社説「市設図書館の必要」が掲載されたのみである。
『横浜貿易新聞』明治四一年三月一日付「全国図書館数」は「近来教育の普及と共に各地に図書館の設立せらるるもの甚だ多く、最近の調査に依れば文部省直轄及各学校の付属図書館を除き同省の認可を得たる総数百六六に上り公立五一(府立二、県立十六、市立十四、町立七、村立十二)私立百十五と報道、図書館の皆無県は、神奈川県で、他に長崎、埼玉、岐阜、佐賀の五県だけで、逆に最も多い県は、山口の十五、新潟の十、滋賀、秋田の九これに次ぐ」と書かれた記事が掲載されている。
ところが、日露戦争後、明治四四年から文部省は「通俗教育」の宣伝を始め、義務教育以上の進学をしなかった人々に、図書、映画、ポスター、講演会等の「通俗的な教育」を盛んにして、教育啓蒙活動を展開しようとして、文部省はこの頃から「通俗図書館」「簡易図書館」の設置を地方に要請、「文部省推薦」による「良書」だけを半ば強制的に普及させようとした。
この結果、全国で公立一六五、私立二八〇、計四四五の図書館があり、総計で二七五万二〇五冊の蔵書数となり、帝国図書館の蔵書分を引いても、一館当たり六千冊の蔵書となった。
|
GO!GO!!フロンターレ3月29日 |
|
|
GO!GO!!フロンターレ3月22日 |
|
3月29日