高津物語 連載第九九五回「大山街道と医療」
大山街道の幕開けが、先端医療を司る医師達によって、切って落とされた事実は、衝撃的でさえある。
「医者」の「医」という字の成り立ちを考えても。「医」は「矢」を入れる道具を表す字で、後に「醫」の略字として使用された。
「医」は【1】法を説いて人の悩みを癒す仏、菩薩を医師にたとえた語で、他には【2】薬師如来の異称が「医」であることを知る人が少ないのは残念だ。
また「醫」は、◎が「イ」という読み方を示し、「痩」を意味した。いわれは昔、「酉(さけ)」を付けて消毒したので、「病気を治す」あるいは「病気を治す人」の意味に使われてきて「醫」となった。
「療」の字は、日中のように明るく火を焚く家(図書寮、学生寮)。僚は役所に勤めている人(役人、官僚)。
日本郵便の父と言われる「前島密(ひそか)」は、十二才となった弘化四年(一八四七)江戸到着、糸魚川藩邸を尋ねるも、オランダ医学の大家を知る人なし。
「医学を学ぶにしても、諸学の元である漢学を学んでから医学を勉強しても遅くはない」と一ノ関藩に仕える儒者・都沢享の塾生になっている。
更に、幕府の官医、添田玄斉の薬室の手伝いをし、嘉永二年(一八四九)幕府の官医、長尾全庵について、ドイツ兵法と西洋事情を学ぶ。明治八年、身体障碍者の教育について考える「薬善会」を組織。
さらに視覚障碍者養護学校「訓盲院」設立、毎週会合して資金募集を行い、「訓盲院」を文部省に引き渡している。
明治十二年工部省建築課に移管、訓盲院新築建設工事を施工する。
同年末「訓盲院」が、後の「東京教育大学付属盲学校」となる。
日本郵便の父、前島密が駅逓長になり、全国に郵便網を展開するのは、それからずっと先の話である。私は「前島密」の生涯を学び、昔の人は、公務優先にして、私利私欲を控えた人格者が多かったことを知った。郵便局を始めた理由だ。
◎は医に旁が殳
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