このところ外歩きをよくする。昨日も文化協会の講座で津田山付近を歩き回った。「日本ヒューム管」という会社に興味があり、その痕跡を捜したが、今はスーパーになって、跡形もない。
戦時下一世を風靡した工場も夢のまた夢で誰も知らない。
知らなくてよいと自分に納得させ亡くなった多くの先輩の顔を思い出して歩く石橋供養塔に合掌。平瀬川の氾濫で亡くなられた方に祈りを捧げ、併せて平瀬川の狂暴さを根絶した平賀栄治の偉大さに改めて敬意を表した。町の歴史は自分の足で見て、確認してこそ本当の意味で自分のものとなる。
これからの老年を私は自分の健康のためにも町中を歩く学習に転換したいと思って、少しずつ変っている。変ることで自分を生かしたいのだ。浮き上る泳法が出来ずに、泣きべそをかいた幼年時代を思い出した。そんな時代、平賀栄治が懸命に二カ領用水の敷設に努力をしていた事など、私には想像もつかなかった。今、久地円筒分水を拝見する度に、平賀栄治の偉大さに驚く。平賀栄治は定年後東急に移り、溝口、梶が谷、鷺沼の三駅の湖沼を川にして流した。
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