多摩消防団に入団して28年。2010年から本団で広報部長、消防部長を務め、現在は庶務部長として会計や行事運営の面で団を支える。「注意深く細かく、全体を見ないといけない立場。これまでお世話になってきた分、恩返ししたい」と心中を明かす。
団員だった父親の影響で、子どものころから消防団は身近な存在だった。「サイレンが鳴ると父がすっ飛んでいったのをよく覚えている。菅小の近くに詰所があって、学校から眺めたり」。30代半ばで入団したころ、夏の訓練は相当厳しかったとか。「昔のポンプ操法は今よりも重労働。1回終わると汗びっしょりで、作業着が塩を吹いていた」。一番記憶に残るのは、菅仙谷で一家が亡くなった20年以上前の火災。冷え込む夜中に放水を続け、帰るころには水が凍っていたという。
父親が創業した「菅ゴルフセンター」の跡を継ぎ、2人の娘にも恵まれた。今秋の藍綬褒章受章に際しては、9月に行われた祝賀会に妻と出席。「夫婦でこんな風に並んで座るのは結婚式ぶり」と恥じらいつつ、「商売のこともあるし、消防団を続けていられるのは支えがあってこそ」と感謝もにじむ。
全国的に火災以外の災害が多発する中、「時代に合った訓練を考えていかないと」と危機感を持つ。「若い人達にも頑張ってもらって、それぞれの役割を理解して行動していけたら」。広い視野で先を読む。
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