地元で「ねのかみさま」と呼ばれ、初詣では多くの地域住民が列をつくる菅北浦の子(ね)之(の)神社。本殿は細部まで精緻な彫刻装飾で埋め尽くされ、貴重な建造物として市重要歴史記念物に登録されている。そんな同神社の名称は、十二支の「子」に関係があるという。
社伝等によると、鎮座の年代は不明ながら菅村地主明神は大己貴神(おおなむちのかみ)(大国主神)を祀り、本地は十一面観音と伝承。後の人が、薬師如来を守る十二神将の筆頭格「宮(く)毘(び)羅(ら)神(しん)」を習合した。この宮毘羅神には十二支の「子」が割り当てられており、習合の際「子神(ねのかみ)」と名付けられた。
しかし、「子」が「根」の字だった時代もある。保元の乱(1156年)の白川殿夜討のとき、源為朝が源義朝に放った矢の鏃(やじり)を、義朝の子・義経が継受。義経がその鏃(矢の根)を同神社に納めたことから、「子神」を字音の似た「根神(ねのかみ)」に改めたという。このころ現在の場所に社殿が築かれ、小沢郷七ヶ村(菅・細山・金程から稲城市の坂浜付近)の総鎮守に。江戸時代には菅村の鎮守として、根ノ神社(ねのかみしゃ)、根上(ねのかみ)明神、根(ね)之(の)神社(じんじゃ)などと呼ばれていた。
そして、今の社名に定められたのは1873(明治6)年12月。1868年に神仏分離令が出された後、村社に列せられ、「子」の字に戻った。
子之神社と八雲神社(菅2丁目)の2社を支える菅氏子会は、その起源や歴史を伝えようと、1年ほど前にパンフレットを作成。祭事などで参拝者に配布している。同会の上原宏也会長は「受け継がれてきた村の守り神を後世に伝え、残していくことが我々の役目。社殿を維持管理しながら、祭事を盛大に、安全に続けていきたい」と思いを話している。
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