枡形6丁目、廣福寺の境内にある一つの石碑。高さは110センチほどで、ほとんど損傷が見られない。裏側には楷書体で「彦城隠士、畑権助、文久三年九月、時歳七十五建之」と書かれ、彦根藩隠士・畑権助が1863年に建立したものであることが受け取れる。
一方、表には辞世の句が刻まれているが、流麗な揮毫(きごう)で読み取りにくく、市の過去の調査等でも未解読。8年前、郷土史家の平林勤さん=生田在住=と山口醇さん=栗谷在住=が解読を試み、改めて昨年、その解釈を論文に書きつづった。
平林さんは碑文の一字一句を論考。前書き「時ありて仕え、時ありて退き、また時ありて、あたまばかりは俗をはなれて」、辞世「障るものと體は撫でよき瓢かな」と読み解いた。そこから山口さんは3つの「時」の意味に注目。通釈を「然るべき時に彦根藩に仕官し、『桜田門外の変』で襲撃者の鬨の声を聞いて遁走した。さらに、寺から食事を供され、剃髪したのみだが、世俗を超越した心境にある」とした。また「體(からだ)を撫でる」所作は、切腹の作法「腹の押し撫で」を暗示すると解し、「解脱を妨げる坊主頭と布袋腹はつるつるで、瓢箪のように撫で良く、切腹の作法『腹の押し撫で』にも適う」と辞世句を解釈した。
市地域文化財の決定を受け、「多くの人が関心を寄せるよう期待」と平林さん。山口さんは「事変の裏面史を後世に伝える希有な文化財。保存・活用が望まれる」と語った。
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このコーナーでは今年度の第3回川崎市地域文化財に選ばれた文化財を紹介します。
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