現役時代は「平成の三四郎」の愛称で親しまれ、1992年バルセロナ五輪で金メダルを獲得した柔道家の古賀稔彦さんが3月24日、53歳で亡くなった。現役引退後、結婚を機に川崎市に移り住み、高津区に道場「古賀塾」を開設。塾長として後進の育成などに尽力してきた古賀さんの訃報に、地元関係者からも追悼の声が上がった。
競技普及にひと役
生前、古賀さんは輝かしい実績と卓越した知識・技術を地域に還元するため川崎市の柔道界に大きく貢献。市柔道協会のメンバーとして市民大会の際には審判を担当するなど、競技発展に尽力した。同協会では「古賀塾から市民大会へのエントリーも多く好成績を残されていました」とその功績を称え、急逝を惜しんでいた。
古賀さんは川崎市の名誉文化大使も務め、2020年のサッカーJ1リーグ・川崎フロンターレの開幕戦では始球式の大役を務めるなど多方面で活躍。イベント担当者の佐藤弘平さんは「テレビで見たままの明るい方で始球式を大いに盛り上げていただきました」と、昨年当時の様子を話していた。
「継続の大切さ」説く
高津区子母口の道場「古賀塾」にほど近い東橘中学校柔道部では2014年、愛娘の古賀ひよりさんが入部したことが縁となり、古賀さんが外部指導員に就任。当時からの柔道部顧問・小長井亮教諭は「技術がどうこうというよりも、負けから学んだり(柔道を)継続することの大切さを、部員たちに伝えることに重きを置いた指導をしていただきましたね」と回顧。その後、外部指導員離任後も同校柔道部を温かく見守り続け、古賀塾と部活動が両立できるよう、生徒はもちろん顧問らへもきめ細やかな配慮を欠かさなかったという。「最近はあまりお見かけすることもありませんでしたが、会えば気さくに声をかけていただき、端々に気遣いが感じられる方でした」と小長井さん。
古賀塾で柔道の楽しさを学んだ子どもたちが小学校卒業後、そのまま同校柔道部に入部するケースも多く、同部は県内でも屈指の強豪に成長。全国大会に5年連続で出場選手を輩出する実績のみならず、古賀さんの指導方針や想いも継承し、継続することの大切さを身に着けた。小長井さんは「卒業後も柔道を続ける子どもたちが比較的多いのも特徴的ですね」と分析する。
塾生4人、今春入部へ
古賀塾はコロナの影響などもあり、昨年中頃から休塾となっているが、古賀さんから小長井さんのもとに「4人の塾生が春から入部するのでよろしく」と、連絡が入ったという。古賀さんの情熱を脈々と受け継ぐ柔道部の今後の活躍にも、大きな期待が寄せられている。
【ナイスオン】【バンバン】【ナイスオン】春のコースデビューキャンペーン~4月30日【ブラッサム・ポラリス】4月22日㈪新台入替 |
<PR>
多摩区・麻生区版のローカルニュース最新6件
|
|
|
|
|
|