多摩区遺族会会長の河合陽子さん(75)は「『夫婦仲良くね。それが一番』が義母の口癖だった」と懐かしそうな表情を浮かべる。義母は26歳だった1945年、当時32歳の夫を失った。太平洋戦争で出征、フィリピンで戦死したのだという。河合さんの夫はまだ2歳だった。「義母は早くに夫を亡くされていたので、別れがいつ来るか分からないということを身をもって知っていたからか、私達夫婦に仲良くすることをアドバイスしてくれた。女手一つの子育ては大変だったと思うが、苦労話をすることもあまりなかった。本当に心優しい人だった」と河合さんは思いを寄せる。そんな義母から頼まれ、40代のころ多摩区遺族会に入会した。
2人から感じた悲しさ
河合さんの夫にとって父の記憶はない。父がいなかった寂しい思いを口にしたこともあった。
子育て中、父の役目とは何か戸惑った。父がいなかったことで、どう子どもに接すればよいのか分からなかったのだ。だが「自然に振る舞えばよい。親子なんだから分かり合えるわよ」と河合さんが夫に伝えると、にこりと笑った。安心していた表情が記憶に残る。
戦争によって、家族が無理やり引き離されてしまう悲しさ――。その思いを義母と夫から長年、河合さんは感じてきた。テレビで戦争の映像が流れると「絶対に起こしちゃいけない」。そう2人はよく口にした。
地道に伝え続ける
戦争は不幸をもたらすだけのもの。悲惨な思いを後世に伝えようと、多摩区遺族会の活動に励む。昨年、同会が行ったパネル展示では義父が戦地に出向く間際に妻に送ったはがきを展示。河合さんが自宅を整理していたときに見つけたものだった。そこには「これが最後の手紙になる」という旨が書かれており、死を覚悟していたことが読み取れた。「伝えることを地道に続けたい」
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