1940年代 遊び道具は全て手づくり
「川崎堀でうなぎを獲ったり、丸太のどんどん橋から飛び込んだり、アケビをとって食べたりね。ほとんど外遊びだよ」と話すのは、中原区町内会連絡協議会で会長を務める原富雄さん。小学生の頃は周りは畑ばかりで、自宅から南武線を走る電車が見えた。竹を切って水鉄砲を作り、木の枝の釣り竿でミミズを餌に。バケツに座布団をしいた床でベーゴマを競わせた。「遊び道具は全て手づくり。近所の子20人くらいでいつも遊んでいたよ」と原さん。
「いたずらすれば叱ってくれるガキ大将がいて、苦手な友達でも困ったときには助けてくれると知っていた。大勢の人とコミュニケーションをとった。後の人生も役にたったことだね」
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