区画事業の歴史を後世に 柿生地域で沿革碑建立式典
冷たい雨が降った先月28日午前11時。柿生大橋の下で、記念碑の建立を祝う除幕式が行われた。集まった18人の視線の先には一枚の石碑。「川崎市麻生川沿岸土地改良区沿革碑」と彫られた石碑には今日の地域の礎を築いた地元住民の歴史が刻まれている。
昭和40年代、当時の柿生地域は鶴見川支流の谷本川上流部の麻生川に沿った農耕地であった。大部分は条件の悪い湿田。麻生川の護岸は曲折により通水が悪く、豪雨の時には各所で川が氾濫し、沿岸耕地に大きな被害をもたらしていた。耕地の形状や農道、用水排路の配置も耕作に不便で、地元住民は何度も頭を抱えてきた。
こうした環境を改善しようと昭和43年5月29日、当時の神奈川県知事の認可を受け、柿生周辺地域(上麻生、片平)で土地区画整備事業が始まった。地域の地主や行政関係者などが組合員として地域のために立ち上がった。都市化の流れで幾度も事業の計画変更を余儀なくされた。何度も困難な状況に直面したが、メンバーは決して諦めず、少しずつ計画を形にしていった。
月日が経ち、計画を進めていた当時の理事長らが亡くなると、組合員の子や孫が彼らの遺志を継いでいった。そして平成12年7月に待望の竣工記念式を迎えることができた。
竣工式に出席した役員が区画事業の完成を記念するため、今年5月に柿生大橋の下に沿革碑を建立した。沿革碑の建立は、昨年亡くなった鈴木貢3代目理事長らの強い遺志でもあった。
初代理事長を父に持つ鈴木錠さんは「今日を迎えることができて非常に感慨深い。父が口癖のように記念碑を建てたいと言っていたことが今でも思い出される」と振り返った。
組合員の代表監事である渡邊辰夫さんは「麻生川の桜並木は今でこそ有名だが、区画整備事業がなければ存在しなかったもの。こうした先人の歴史を後世に残すことができて本当に良かった」と話した。
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3月29日
3月22日