麻生区版 掲載号:2012年11月9日号
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柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第27回 川崎北部の修験を探る―「十三」という数字の謎「十三塚」「十三菩提」―

 川崎市内に「十三」のつく地名は少なくとも7カ所あります。数カ所あるということは何か互いに関連性を持つ共通の意味をもっているに違いありません。そんな疑問からこの問題を考えてみました。

■全国の「十三」地名

 全国的にみて北は秋田県、南は鹿児島県まで分布し、主に関東以北に多く存在し、名称は「十三塚」と呼ばれることが多く、他に「十三坊塚」「十三法壇」「十三仏塚」「十三塚原」「十三本塚」「山伏塚」などの名称です。

 設置場所は主に村境や郡境や道筋で、大きさは径1〜2メートル、高さ1メートル弱の小型の円型の塚で1列に13個並ぶものが多いようです。特徴は13個の真ん中の塚が大きいということ、内部からは何も出てこないが塚上や中から板碑が発見される場合もあります。付随する伝説としては主に「武将を祀った」「山伏が生きながら入って死んだ」等があげられます。いつ頃のものなのかというと室町時代末から江戸時代にかけてと考えられています。何のためのものかといういと、名称に山伏や法壇(山伏が祈る場所)がある点や伝説を考えてみると修験者(山伏)の祭祀場(祈りを行う場所)であったのではないかと考えられます。

■川崎の「十三」地名

 左の表を見ますと、溝口の十三坊の1カ所を除いて、ともに多摩丘陵の中に位置しています。また、すべてが村境にあり、十三という共通の数字がつき、小塚が伴い、場所は大体台地状の場所と思われます。また江戸後期執筆の新編武蔵風土記には村の中の主な地名として「十三」地名が記述されており村人からは良く知られていたようです。

■五カ田の「十三塚」とは?

 東京都教育委員会が昭和34年、43年に行った調査では、五カ田と平尾との境界付近にあり13の小塚が一直線に並んで、中央の1基が若干大きく「十三塚」の典型的なスタイルで、遺物は発見されませんでした。ただ、隣接する「入定塚(にゅうじょうづか)」には9基の板碑が発見されています。

■「十三」の数字は何?

 修験者と関係の深い真言宗、天台宗で大切にしている「十三仏」が関係していたと思います。死者の裁判をする13の仏(正確には如来=阿弥陀仏如来など悟りを得た者、菩薩=地蔵菩薩など悟りを得るために修行している者)は冥界の裁判官で死者の生前の行いを審理(取調べること)しています。

■「十三塚」の意味

 修験者は死者の成仏を助け、生きるものの幸福を祈るため十三の塚を造り、そこを祭壇にして、現世、あるいは死者と冥界とのパイプ役を果たしながら修行していたものと思われます。(参考資料・「修験道辞典」「修験道の考古学的研究」「川崎地名辞典」)

 【補足】十三菩提遺跡について…縄文時代遺跡の上に、中世に「十三菩提」が造られたため、その縄文遺跡を「十三菩提遺跡」と命名したものと思います

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