麻生市民交流館やまゆりで特別講演会を行った読売巨人軍ヘッドコーチ 川相 昌弘さん 区内在住 49歳
努力し続け、夢を追う
○…ジャイアンツが2013年のセ・リーグペナントレースを制したことを記念し、麻生市民交流館やまゆりに先月、特別講演会の講師として招かれた。多摩区のジャイアンツ寮での生活を経て、麻生区に住み約17年。「地元の方々と触れ合えて嬉しい」と話す。同館を運営するスタッフの地元の人々に話をしてほしいという声に応え、引き受けた。
○…岡山県出身。父親が断念したプロ野球選手の夢を託され、叶えた。「幼い頃から休日には父親に野球の練習相手になってもらい、よく夕飯を一緒に食べ、ためになる話をしてくれた」。その中で最も心に残っている言葉は「手習いは坂に車を押す如し」。「継続は力なり」と同類のことわざを教えられ、小学生の頃から筋トレやランニングを続けてきた。その結果、プロ選手としての現役24年間で大きな故障はほとんどなし。また、コツコツと積み重ねた通算犠打は533を数え、世界記録を塗り替えた。
○…最近の趣味は読書。戦中のゼロ戦の兵士たちの勇敢な姿を描いた作品「永遠の0」(百田尚樹著)を読み、深い感銘を受けた。現役時代、名ショートとしてジャイアンツで活躍した頃、背番号0に綾かって付けられたファンクラブ名は「ゼロファイター」。「当時のファンクラブ名の意味が今になってよくわかり、非常に嬉しかった」
○…39歳の頃、ジャイアンツで一旦引退を決意したが、中日ドラゴンズで現役続行。尊敬する元メジャーリーガー、オジー・スミスに憧れ、「40歳でショートを守りたかった」と当時の思いを語る。その後、ジャイアンツに二軍監督として呼び戻され、「ありがたくお受けした」と振り返る。13年はヘッドコーチとしてチームをリーグ連覇に導いたものの日本シリーズで敗れ、悔しさを滲ませる。今後も「社会人としてもきちんとした選手たちを育てていきたい。また連覇をできるチームをつくっていきたい」
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