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麻生区版 公開:2015年7月17日 エリアトップへ

柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第64回天保の飢饉王禅寺村はその時どうした(4)後編

公開:2015年7月17日

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志村弥五右衛門への感謝状
志村弥五右衛門への感謝状

 【前号から続く】天保7年11月の「凶作に付き助精差出帳」からは、名主志村弥五右衛門が困窮していた村人に対し金品の支援を盛んに行っていたことが分かります。例えば「王禅寺村本村3名に大豆計3俵、1名に大麦2俵と銭2貫五百文、1名に銭2貫五百文。真福寺谷2名に大豆計2俵。上鉄村4名に大豆計4俵、早野村1名に大豆1俵」と記載されています。何と近隣の村人にも支援が行われています。

 また、同年12月15日には王禅寺村住人9名に粟計4俵、大麦計5俵が助精されています(※助精=じょせい=一般的に金品の貸付であるが当時の詳しい事情は不明)。さらに同日に、穀物だけではなく現金についても王禅寺村本村住人6名にそれぞれ「金百疋(1両の1/4=現在の約2万5千円)」を、真福寺谷の7名にもそれぞれ「金百疋」、早野村・上鉄村各1名にも助精しています。

 ご紹介した上記の志村氏の支援は、ほんの一部分ですが、実際には王禅寺村のみに限らず周辺の村々に対しても支援が行われていました。このような状況の中で、名主志村弥五右衛門は、翌天保8年4月に「凶作による窮民救済をするように(役所が)依頼したところ、よく理解して出金することを承諾した。この行いは稀にみるほど優れた心がけによるもので賞状を渡すものである」という内容の感謝状を役所から授与されています。この資料にある「御霊屋料(おたまやりょう)」とは徳川氏代々将軍の霊が祀られている江戸の増上寺の運営費用をまかなうための年貢を受け持つ地域で、川崎市内では王禅寺・塚越・鹿島田・下平間・市ノ坪・小倉・小杉・宿河原などの村々の一部がそれに当てられていました。尚、王禅寺では、2代将軍秀忠の奥方「江(ごう)」の方のお化粧料になった場所で現在の王禅寺東5丁目の「化粧面谷戸」付近です。

 参考資料:「志村家文書」 文:板倉
 

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