柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第65回麻生の寺院 常念寺・阿弥陀堂(金井)前編
栗木の常念寺はこの地方には少ない浄土真宗(親鸞開宗)の寺で、新編武蔵風土記稿には「一向宗、京都西本願寺の末、稲荷山と号す、開山はその人を伝えず、客殿六間に六間半南に向かう、本尊阿弥陀立像にして長一尺ばかり」とのみ記し、開山、開基、その沿革については触れておりませんが、寺の縁起、村の地誌には古い由緒が記されています。
地誌などによると、この寺は永禄元年(1558)、西本願寺の僧福寿によって開山、創立されたとしており、一方、この常念寺について町田市史は、金井村の阿弥陀堂の欄に、「入谷戸にあり、浄土真宗麻生栗木常念寺末、本山の栗木常念寺は元この地にあったと伝えし」と記し、「宗祖親鸞、門徒浄念を伴い、この地に錫杖をとどめリ」と述べています。新編武蔵風土記稿もこの阿弥陀堂については、「金井谷にあり、わずかなる堂なり、弥陀の木造長五寸ばかり、百姓持」と、その存在を記しています。
従ってこの寺の由緒は古く、金井の阿弥陀堂、親鸞・常念の伝承を真実のものとすると、親鸞は康元十三年(1262)、90歳の高齢で寂しておりますので、その縁起は鎌倉時代に遡ることになります。浄土真宗といえば当時、門徒宗、一向一揆と熱烈な檀徒で知られ、僧福寿の出身は分かりませんが、永禄元年は、この地方では小田原北条氏の戦国の時代、新しい宗教間にも競合があり、鎌倉街道沿いのこの地に、本尊阿弥陀如来を移したもので、地元栗木の伝承には「昔、栗木村のお大尽が金井の阿弥陀様を栗木に持ってきた・・・」がありますので、そのお大尽がだれかは分かりませんが、当時、栗木村には浄土真宗の信徒が在ったことは確かなようです。【次号に続く】
参考文献:「新編武蔵風土記稿」「栗木 明日へ語り継ぐ」「麻生の神社と寺院」「歩け歩こう麻生の里」「町田市史」 文:小島一也(遺稿)
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