柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第67回麻生の寺院 常念寺・阿弥陀堂(金井)後編
【前号から続く】常念寺は「いぼ取り地蔵」と近郷近在に知られていました。現在も参道右手に6体の地蔵様が並ぶ地蔵堂があり、造立年度を調べると、元禄十年が1体、宝永三年1体、享保二年1体、享保二十年が1体。他2体は読み取れませんが、江戸中期のもので、顔から頭をなでると”イボが取れる”と信仰され、右から3番目のお地蔵さんは、お顔がすっかりすり減っています。なおこの寺には、創立年は不明ですが、新編武蔵風土記稿が「和合院、除地、三歩程、村の南によりてあり、当山修験なり」とする所があり、これは地元では「ホーエン様」と呼ぶ、常念寺の僧の「修験庵」だったと言われ、現在その跡地は片平・栗木境にあり、「和合院塚」と称され、樹木に覆われています。
時代は変わりますが、明治七年、明治新政府は、大・小区制(戸籍区)を施行、この常念寺は栗木村他6ヶ村の戸長役場となりますが、当時この寺の運営、維持をしていたのは栗木村の26軒、そして金井村24軒の信徒だったそうです。
一方、阿弥陀如来が栗木に行った金井の阿弥陀堂は、3間×2間、6坪ほどの小祠で、木造五寸ほどの阿弥陀像を本尊に、村人より毎年4月10日、念仏講が催されてきましたが、昭和47年火災で焼失(町田市史)。今その跡(入谷戸)を訪ねると、雑草の生い茂る小屋に幾つかの仏像が安置され、寛永九年壬申、法印秀長建立と読み取れる石塔2基が侘びしく残されています。
参考文献:「新編武蔵風土記稿」「栗木 明日へ語り継ぐ」「麻生の神社と寺院」「歩け歩こう麻生の里」「町田市史」 文:小島一也(遺稿)
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