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麻生区版 公開:2015年11月20日 エリアトップへ

柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第71回 麻生の寺院 妙福寺その2

公開:2015年11月20日

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 妙福寺は、現麻生区内の寺ではなく、町田市三輪町に在りますが、この地は、室町・天正の頃は麻生郷に属し、近世、神奈川県都筑郡から明治22年東京府南多摩郡鶴川村となり、昭和33年(1958)町田市三輪となったもので、この寺の檀徒は、その昔、生活圏を同じくした鶴見川流域の現横浜市の寺家、成合、鴨志田町、そして、麻生区の上・下麻生に及んでいます。この妙福寺の由緒を町田市史(下巻)で見ると、市域に今も残る「七堂伽藍」の名刹として、「一に小山田の大泉寺」「二に三輪の妙福寺」「三に本町田の宏善寺」を取り上げ、大泉寺は鎌倉時代の有力武将、小山田氏の菩提寺で、本町田宏善寺(日蓮宗)は、宗祖日蓮聖人が文永8年(1271)、龍の口での法難の際、この井出の沢の小庵に休息した伝承を持つ名刹で、妙福寺はこの2寺に比する古刹と述べています。

 この町田市史での所以を新編武蔵風土記稿(以下風土記と略記)の記述で見ると、「日蓮宗、荏原郡池上本門寺の末、長裕山と号す、本堂十間に七間半、本尊三宝を安す、開山詳ならず、寺宝 釋迦像一躯日蓮の作なり、木造三寸五分、十界曼荼羅一幅 是も日蓮の筆なり、祖師堂三間に四間、日蓮の木像長三尺を納む、鐘楼二間四方、鐘は天和三年(1683)鋳しもの、番神堂二間に三間、三十番神は小像にして長八寸許、惣門 高麗、濡門とも呼び幅九尺・・・」。七堂伽藍を記しており、現在残る本堂・客殿・庫裏は江戸時代に何度か修繕された建築(寛永十二年 1635 火災あり)で、欅木、檜、杉などの巨木の建材は今も利用され、重厚、荘厳な伽藍になっています。【次回へ続く】



 参考文献:「町田市史」「新編武蔵風土記稿」「妙福寺開山六百年」「ふるさと三輪」

 文:小島一也(遺稿)
 

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