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柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第84回 小沢城(3)後編

掲載号:2016年7月22日号

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小沢城址(南側)入口
小沢城址(南側)入口

 【前回から続く】伊勢宗瑞(早雲)が扇谷上杉家を助けての戦には、駿河国の守護今川氏(氏親)を伴っていました。そのことは国盗りを意味し、宗瑞(早雲)の関東管領扇谷上杉への協力は実は関東進出への口実で、それを知った敗れた山内上杉(顕定)は援軍を越後の守護上杉房能に求め、扇谷上杉の本拠である武蔵の河越城を囲みます。一方、扇谷上杉家は助けを甲斐の武田家に求めますが、一族抗争の愚を悟った両上杉家は永正二年(1505)和睦し、二十余年に亙った紛争の幕を閉じ、以後、関東上杉勢と、関東制覇を狙う北条氏との戦になります。

 永正十六年(1519)、戦国の驍将(ぎょうしょう)(強く勇ましい大将)伊勢宗瑞(早雲)は伊豆の韮山で死にますが、その子氏綱の活躍は目覚ましく、大永三年(1523)江戸城の上杉朝興を破り関東に勢力を広げます。その戦には丸子、井田、小沢の地域は防衛拠点となり、小机城には笠原氏を城代に置いたと川崎市史に記されています。

 だが、上杉方も負けてはいませんでした。当時の管領上杉憲寛は朝興を助け、大永六年(1526)、上野国から南下、北条勢の籠った小沢城を奪い返しています。そこのところを川崎市史で見ると、「九月、上杉憲寛上州を発して武州に至り、入間川に陣す、朝興とともに、北条氏綱を討たんと欲し、まず小沢城を攻めてこれを陥る…」とあり、小沢城がまたまた争乱の接点になっていたことが分かります。

 文:小島一也(遺稿)

 参考文献:「川崎市史」「横浜市史」「読める年表 日本史」
 

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