柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第85回 小沢城(4)前編
大永六年(1526)扇谷上杉勢による小沢城の奪取は上杉朝興方を勢いづけ、江戸周辺の北条氏勢力を破って武蔵府中に軍を進めます。しかし一方、相模、南武蔵の一部を掌中に収めた北条氏綱は、享禄三年(1530)弱冠16歳の氏康を多摩川河原に派遣、朝興軍を多摩川に近い小沢ヶ原に迎え撃たせます。これが名高い『小沢ヶ原の合戦』で、この戦は小沢城から菅、稲城、細山、金程、平尾など広範囲に及んだようです。
新編武蔵風土記稿では金程の項に「今その所を伝えざれど、この小沢郷の内多摩川辺へ寄りたる広き原野なるべし…(略)…享禄三年の夏、上杉修理太夫朝興河越の城に在りて、先年江戸城に在りし頃、北条氏綱に敗れし恥辱を雪がんと…(略)…兵五百騎にて武州府中に出陣す、氏綱聞きて何ほどのことかあらんと、子息新九郎氏康其頃まだ十六歳なりしをさしむける…(略)…両軍鉾先を交え終日おのめき、さけんで戦いしが、夜に入りければ上杉散々にかけ負けて引退し、氏康は初陣に敵を落として物始めよしと悦び勝鬨をあげ馬を入りしと云う…」と記され、この戦には万福寺の中島隼人佐、片平の大熊修理亮など、この地の地侍が北条方に組したと言われ、勝鬨をあげた勝坂、戦場だった矢崎、陣川、軍勢を置いた膳部谷戸、隠れ谷戸の伝承が今に残っています。【次回へ続く】
参考文献:「川崎市史」「新編武蔵風土記稿」「菅町会六十年記念誌」
文:小島一也(遺稿)
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