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柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第87回 シリーズ「麻生の歴史を探る」 北条氏関東支配(1)〜小机城

掲載号:2016年9月9日号

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 戦国大名北条氏の始祖伊勢宗瑞(新九郎長氏・早雲)の出自は明らかではありませんが、駿河の守護今川家の縁者であったようで、文明八年(1476)今川家の内紛を調停し、明応二年(1493)伊豆堀越公方の家督争いを解決して伊豆韮山に城を構えますが、今川家内紛を収めた陰には、関東管領上杉定正が派遣した太田道灌の調停もありました。この時、早雲、道灌ともに45歳だったといわれています。

 それから10年後の文明十八年(1486)道灌は主君定正の策謀で悲運の死を遂げ、早雲はこれらの功で駿河十二郷の興国寺城を与えられ明暗を分け、明応四年、早雲は道灌亡き後の扇谷上杉配下の小田原(大森氏)を奪い、続いて永正九年(1512)相模平塚の岡崎城に三浦一族を破ります。さらに早雲は、太田道灌という統率者を欠いた当時の相模国の守護扇谷上杉家を相模国外に追放し、実質的な国守となり、三浦、鎌倉も領内に収めて、焼けた鎌倉八幡宮の造営を行っていますので、扇谷、山内両上杉家の確執に乗じ、駿河の今川勢を率いて生田枡形域に進出してきたということは、武蔵国盗りの第一歩だったということができます。

 その伊勢宗瑞(新九郎長氏・早雲)が没したのは永正十六年(1519)、武蔵国盗りは進んでいました。家督を継いだのがその子氏綱で当時32歳、父早雲に劣らぬ武将で、北条氏(後北条氏)の関東支配、北条政権はこの氏綱から始まります。その政務の始まりが、伊勢氏から北条氏への改姓と印判状(文書)の発行です。改姓の理由は、かつて鎌倉時代、武蔵・相模の守護は北条姓で、守護は北条姓であるべきという理論で、戦国大名が割拠のこの時期、多分に鎌倉北条家を意識しての改姓で、その時期は永正十五年(1518)頃とされます。一方、印判状は戦国大名の印判状制度の創始と言われ、「虎の印判状」として知られるこの多様で多量な文書は現在貴重な歴史資料となっています。

【次回へ続く】



 参考文献:「川崎市史」「横浜市史」「戦国大名北条氏文書」「神奈川県の城」

 

 文:小島一也(遺稿)

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