麻生区版 掲載号:2018年1月19日号 エリアトップへ

柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第116回 シリーズ「麻生の歴史を探る」民間信仰(3)石造物〜道祖神 後編

掲載号:2018年1月19日号

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 【前編から続く】黒川の上(西)の地域に橋場と言う所があります。ここは三沢川の源流で、その昔、鎌倉街道(脇道)の橋が架かり、金剛寺、毘沙門天などの伝承を残す土地ですが、そこには今も嘉永三年(1847)に造られた「道祖神」の石が残されており、昭和30年代までこの地域では、孟宗竹を支柱にして高さ5m、幅4m、周囲を門松や注連縄、お札やダルマで囲い、中には囲炉裏が設けられていたそうで、小屋が出来上がると子供達は上級生を先頭に「セイノ神の餅クンナ セイノ神の餅クンナ」と家を回り御神酒銭(お年玉)を集め、夜は囲炉裏を囲んで雑煮を食べ、お籠(おこもり)をしたそうです(?)。

 この黒川の道祖神には繭の形をした石があり(現在なし)、小屋を焼くとき焼いたと言われます。黒川に限らずこの嘉永年間(1848―53)を中心に幕末から明治のその頃はアメリカ通商のシルクブームの始まりで、陰暦で1月15日を小正月と言いますが、「セイノカミ」の14日は年越しの日で、当時はどこの農家でも米の粉で繭玉を作り、1m余の樫の木の小枝に繭の豊作を願って飾り付けたものでしたから、黒川の道祖神の行事もこれにあやかってのものだったのでしょう。

 この「セイノカミ」の神の焼石信仰はあちこちにあり、登戸東(現登戸駅辺)の石は今も保存されているそうです(川崎の民俗=角田益信)。その石は鏡餅形をした3個とのことですが、面白いのはセイノカミの構造の違いで、黒川のそれは高さ5m、中央の孟宗竹は15mに及びその先にダルマやお札を吊るしますが、登戸のそれは門松や煤払いの竹を高さ2mで内側に折り曲げて屋根にし、ワラで葺いた直径4m程の円形の小屋で周囲を正月の飾り物で彩り、出入り口はムシロを吊るし、囲炉裏を掘って、鏡餅石を置いたようです。また、川崎川中島の神明社には、歳の神のお堂があり、繭玉の形をした縦17cm、横11cmの5個の石が収められており、セイノカミの日には、子供たちがその石を縄で連ねて引っ張って、「デーサネ、デーサネ、デーサネ(意味不詳)」と叫んでお神酒銭を貰って歩いたとのことです。

 岡上の川井田、宮野家の入り口路傍に宝珠の形をした二つの石の上に、小さな角柱石が乗せられたセイノ神が、今も藁葺き屋根が毎年近隣の人達により葺き替えられ保護されています。かつてこの川井田の辻は村を守る道祖神の宿したところで、民間信仰の焼石であったのではないでしょうか。なお、この岡上の宝珠の焼石、そして、前記登戸のセイノカミのレプリカは市民ミュージアムに置かれています。

 参考資料:「川崎の民俗(角田益信)」「くろかわ」「岡上再発見」
 

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