柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第123回 シリーズ「麻生の歴史を探る」民間信仰(7)お稲荷様〜稲荷信仰 前編
稲荷といえば京都の伏見、茨木の笠間稲荷などが全国的に有名ですが、これは五穀の神(霊)崇拝の民俗信仰から起きたもので、この地方でも戦前まではどこの農家でも赤い鳥居に赤い小祠のお稲荷様が在り、毎年節分(2月3日)を過ぎた最初の「丑うし」の日を「初午はつうま」と呼び、祠の前に五色の紙を継ぎ合わせ「正一位稲荷大明神」と大書きしてシノ竹で左右2旗吊るして、赤飯や煮しめ、油揚げなどを供え、その年の五穀豊穣、家内安全を祈りましたが、そこには狐の像が大切に祀られていました。
この小さなお稲荷さんを屋敷稲荷、親族で祀る祠を一家(いっけ)稲荷と呼びました。そして村の神社や寺の末社、末寺にも多くの稲荷社があり、その特徴は赤い鳥居、赤い社と、狐像が本尊として祀られていることです。
お稲荷様の鳥居や祠が赤いのは、朱は高貴な宮殿を表す色で、豊かさ、豊穣を示すものとされ、狐像は一般的に狐はお稲荷様の化身とかお使いとか言われますが、稲荷とは前述の通り豊穣を願う「稲成り」から起きたものといい、稲荷と狐との関係を「稲荷信仰研究」(五来重氏)をお借りして大要を述べると「キツネ」の古語は「ケ(食)ツネ(根本霊)」で、古事記では、食の根本神である女神「ケツネ姫」が死ぬと、体内から稲穂、蚕、栗、大豆、小豆が湧き出て人間に五穀をもたらした租神(霊)と記されており、そこに一般的動物の「キツネ」が「ケツネ」の化身として霊獣化され、狐は玄妙、奇瑞を顕すものと、稲荷と狐は切り離せないもので、稲荷信仰の特色となっています。【後編へ続く】
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