麻生区版 掲載号:2018年6月8日号
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柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第125回 シリーズ「麻生の歴史を探る」久末義民騒動 前編

 江戸幕府は慶安二年(1649)、「慶安のお触書」なるものを交付いたします。これは農民には年貢の納入を義務付け、衣服は木綿、米を食わず麦飯を食えと日常生活にも及んだもので、「胡麻の油と百姓は搾れば搾るほど出る」とされ、一方、村々に知行を得た武士達は直参旗本として江戸にお屋敷を拝領、知行地の年貢の徴収権、領民支配権を得て、お殿様となりますが、元禄(1688〜)の頃になると年貢に苦しみ疲弊する村々と華やかな江戸の町では生活の格差を造り出し、どこの村でも年貢の賦課を巡って領主と農民の間には確執が起こります。その特異なものが久末義民騒動でした。

 この久末村の年貢騒動は「久末義民地蔵物語」として、今も民話に残る世にも不思議な事件で、事の起こりは、元禄六年(1693)、久末村領主佐橋内蔵之助佳純から、村の検地の石高が前回より100石も多い329石と示されたことから始まります。これまでの久末村の石高は229石で、村では驚き何かの間違いではと村の世話人を佐橋邸に差し向けますが帰ってきません。不思議に思って名主の「嘆願書」を携えて代表3名が江戸に向かいますがこれも帰らず。村では3度、4度と「訴状」を持った農民が佐橋邸に向かい、その数20名。そのいずれもが消息を絶ってしまいます。そうした中、奇跡的に生還した者が一人あり、その者によって他の19名は佐橋邸の牢で餓死したと告げられ、村内は騒然となります。

 一方、佐橋佳純は貞享二年(1685)、江戸四谷大番町に拝領屋敷を持つ旗本で、屋敷には牢などの備えはなく、久末村のほか相模国大山の大住村などに600石の知行地を持ち、知行地の一つ、江戸荏原の戸越では善政を施したといわれ、当時この佳純は眼病を患い、政務は用人に任せ放しだったとの説はあるものの比較的良きお殿様であったようです。

【後編に続く】

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