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柿生文化を読む 第136回 シリーズ「麻生の歴史を探る」日野往還〜神奈川道〜後編

掲載号:2018年10月19日号

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日野往還と屋号(「屋号と家紋」より編集者作成)
日野往還と屋号(「屋号と家紋」より編集者作成)

 【前編から続く】

 時代は降って明治の時代(1868〜)、この日野往還は、この地方にとって重要な道路となります。それは明治二十二年(1889)、町村制施行で上麻生村ほか10カ村は柿生村を誕生させ、都筑郡となるからで、この10カ村は鶴見川本支流域の日野往還に沿う村々です。そして中心が日野往還沿いの川和であり、明治・大正そして昭和の初期、そこには郡役所・警察署・郵便局・農業会などがあり、生糸・絹織物・農産物など買取商人の出会い茶屋があり、荷を卸し、政治・経済の町として繁栄を続けます。ですがそれは、長い間のことではありませんでした。当時の国鉄横浜線の試験電化が大正十四年(1925)、そこには小机・中山・長津田の駅ができました。小田急線柿生駅の開設は昭和二年(1927)。横浜、川崎二大都市の膨張は昭和十四年(1939)川和町ほか9カ村は横浜市へ、柿生岡上村は川崎市に編入、都筑郡は解消され、幾多の歴史を秘めた日野往還は過去の道に変わっていきます。

 私は昭和二年生まれですから、都筑郡最終の郡民で子供のころ友人と小机・川和に遊びにいった覚えがあります。幅4mなど比較的平坦な砂利道で、小机耕地(現アリーナ辺)で海老蟹(編集注:ザリガニ)を捕ったこと、池辺耕地(現神奈川運輸支局)辺は低地で鶴見川が氾濫していたこと、川和の郡役所は西洋風の建物でそこには前田さんと呼ぶ小学校の教科書屋さんが在ったこと、沿道には川和の中山恒三郎商店(酒・醤油問屋)・市ヶ尾の綿屋(不詳)などの豪商の店が在ったことが懐かしく思い出されます。

 今、日野往還は”麻生道”と名を変え、昭和三十九年(1964)往年の竹の花宿を眼下にした柿生陸橋が開通、車両の絶え間を見せず、母なる鶴見川は、全くその姿を変えながら流れを続けています。

参考資料:「柿生村と私の歩み(飯塚重信)」「青葉のあゆみ(青葉区役所)」「津久井街道(稲田図書館)」「横浜の歴史の舞台を歩く(相澤雅雄)」
 

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