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柿生文化を読む 第2回 シリーズ「鶴見川流域の中世」中世人の生活の舞台としての鶴見川【2】 文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

掲載号:2020年7月31日号

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麻生川源流域から出土した墨書土器。土器の内側底部に「四万」と墨書
麻生川源流域から出土した墨書土器。土器の内側底部に「四万」と墨書

 麻生川の源流域(地元では神川と呼称)にあたる稲城市平尾町杉山神社付近の発掘調査では、平安時代の建物跡から祭祀に使用されたと考えられる「四万」「酒?」と書かれた墨書土器が出土している。遺跡出土の墨書土器は、村落内の神仏に対する祭祀、儀礼行為などの際に、土器に一定の字形を記したものと言われている。したがって、平尾出土の墨書土器は祭祀に関連するものとして大過ないであろう。鶴見川は生活用水や農業用水として恵みを与えてくれる存在であるとともに、洪水や干害などの自然災害をもたらす畏怖すべきものでもあった。このため水源において「水」や「河川」の神を祀ったと考えられる。

 有馬川の源流域にあたる川崎市宮前区有馬の堂尻谷戸からは、鎌倉時代末期の元亨3年(1323)銘板碑をはじめ多数の板碑片や常滑焼の蔵骨器などの中世墓が出土している。この墓地は14世紀前半から16世紀まで引き続き使用されている。そうしてみると、この付近に中世村落があり、墓地を営み板碑を造立して常滑の陶器を入手できるほどの財力を持った有力者の存在が浮かび上がってくる。有馬川流域はこのほかに正福寺所在建武4年(1337)銘板碑をはじめ多くの板碑が集中する地域である。川崎市中原区小杉御殿町にある西明寺は、鎌倉幕府を主導した最明寺入道北条時頼の伝承が伝わる古刹であるが、元は有馬川の左岸の西明寺跡にあったと言われている(新編武蔵風土記稿)。

 王禅寺は黒須田川の源流部に所在する真言宗の古刹であり、等海や印融などの学問僧が止宿している。王禅寺山門脇の池は源流の一つであろう。宝暦12年(1762)「王禅寺村絵図」を見ると、王禅寺領の谷戸には地味が良く生産性の高い「上田」の表記が多くあることに気づく。谷戸田が王禅寺経済の基盤であることがわかる。

 鶴見川流域のそれぞれに中世人の多様な営みがあったと考えられる。

 以上は考古資料や金石文史料を通じて鶴見川を見てきたが、鶴見川流域に関係する中世の文献史料に少し触れたい。渋口(子母口)郷に関する至徳元年(1384)の「正木文書」は、南北朝期の村落景観を理解する上で貴重な史料である。建武元年(1333)「鶴見寺尾郷絵図」はこの地域の地形的な特徴である谷戸と丘陵を描いて示唆に富んでいる。「正木文書」・「鶴見寺尾郷絵図」のいずれも東国の村落を記した数少ない文書と絵図である。2点の史料がいずれも鶴見川に関係しているので、今後取り上げてみたい。
 

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