柿生文化を読む シリーズ「鶴見川流域の中世」中世人の生活の舞台としての鶴見川【5】 「鶴見寺尾絵図」【2】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)
絵図上方には寺尾地頭阿波國守護小笠原蔵人太郎入道、同じく上方右側には師岡給主但馬次郎、右側の鶴見川付近には末吉領主三嶋東大夫とある。小笠原蔵人太郎入道長義は甲斐源氏小笠原氏の一族で、祖父の長房以来阿波守護職を相伝している。三嶋東大夫は源頼朝が崇敬した伊豆三島大社の神主家の当主であり、いずれも鎌倉幕府の有力者である。
中央に描かれた「寺」には領主の記事がないが、この絵図の裏書には「正統庵領鶴見寺尾圖」とあるので鎌倉の建長寺塔頭正統庵が領主である。すると中央に描かれた「寺」は正統庵が現地を支配する拠点とした政所であろう。小笠原蔵人太郎入道長義と三嶋東大夫は本境を越えて正統庵領鶴見寺尾郷を侵食したのである。
絵図の描かれている範囲を現在の地図に落とすと東は横浜市鶴見区市場下町、北は同下末吉一帯、北西は同区馬場一帯、南西は神奈川区入江町までの鶴見区の大部分と神奈川区の一部を含む広い範囲である。加えて絵図に書かれた新境押領線・馬水飲谷・犬追物原や白幡宮・小池堂などの宗教施設や谷戸田・野畠・溜池などの景観が現地で確認できる事もあり、絵図に描かれた現地を歩くと丸々3日間掛けても足りない程である。
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