柿生文化を読む シリーズ「鶴見川流域の中世」謎の深い前滝口榎下重兼たち【4】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)
横浜線の中山駅の北西1Kmには中世城郭の榎下城跡があり、恩田川沿いの沖積地には観護寺がある。城址西側に位置する神明神社脇の道は「鎌倉道」と言われている。城址の東側に所在する杉山神社の脇にある旧道は、白根を通り鎌倉街道上道に通じる古道である。郷の南端には中原街道や保土谷方面に通じる古道が通っている。榎下郷は複数の道路が交わる交差点であった。また、付近の寺院には鎌倉期の大型板碑があったと伝えられている。このように様々な状況証拠はあるのだが、決め手に欠いている。厳密に考えると、榎下重兼を鶴見川流域の武士とするにはいささか無理がある。麻生の地名を名乗る麻生胤国についても同様である。 (つづく)
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