柿生文化を読む シリーズ「鶴見川流域の中世」高名の馬飼 都筑経家とその一族【1】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)
源頼朝の御家人に都筑郡の郡名を苗字とした都筑平太経家とい う武士がいた。経家は高名の馬乗・馬飼であったが、平家家人として源頼朝に敵対したために、囚人として梶原景時に預けられていた。ある時、陸奥より背丈が大きく猛々しい荒馬が頼朝のもとに届けられた。頼朝は乗馬の達者な御家人たちに命じて試したが、誰一人として荒馬を乗りこなせる者はいなかった。頼朝の口惜しい気持ちを察した梶原景時は「坂東八カ国でこの荒馬を御せる武士はおりませんが、私が預かっている都筑経家ならば必ず乗りこなせると思います」と経家を推挙した。経家は頼朝の御前で荒馬を見事に乗りこなして罪を許されて、厩別当に任命された。これは『古今著聞集』に登場する都筑経家の逸話である。
丘陵と谷戸の発達した都筑郡は馬牧の適地であり、立野郷に由来する立野牧は横浜市都筑区川和・佐江戸・池辺から緑区にかけての地域に比定される。立野牧は天皇の勅旨によって特別に上納が規定された勅旨牧で、貢馬の記録は10世紀から11世紀初頭まで確認できる。勅旨牧が衰退した後も牧の経営は都筑経家などの在地勢力に引き継がれたのであろう。
(つづく)
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