麻生区版 掲載号:2021年9月10日号 エリアトップへ

柿生文化を読む シリーズ「鶴見川流域の中世」 板碑に刻まれた「主君」は武将か僧侶か―建長七年銘板碑から地域社会を考える―【2】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

掲載号:2021年9月10日号

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写真=建長七年銘板碑 川崎市高津区久末 妙法寺所蔵
写真=建長七年銘板碑 川崎市高津区久末 妙法寺所蔵

 この板碑は源義朝の家臣鎌田兵衛尉正清の百回忌にあたって追善供養のために建立されたと言う寺伝が『新編武蔵風土記稿』に記されている。

 鎌田正清は源義朝(頼朝の父)の乳兄弟で「専一の郎等」であった。平治の乱(1159)に敗れると舅である長田忠致を頼ったが、忠致の裏切りに遭い源義朝とともに暗殺されている。後に、源頼朝は父義朝と功臣であった正清を鎌倉勝長寿院に改葬している(『吾妻鏡』)。

 寺伝にしたがえば銘文にある「主君聖霊」は鎌田正清ということになるが、正清の百回忌は建長七年ではなく正元元年(1259)であることは『新編武蔵風土記稿』の編者も指摘している。「主君聖霊」を平安時代末期の武将である鎌田正清と直接結びつけるのは避けなければならないが、三宝廃寺付近には鎌田堂と称する小堂や正清の居館跡の伝承が残り、小字城山も正清の居城の跡と伝える。この様な伝承を正統な歴史から外れた伝説として退けることなく、伝承の背景を掘り下げる必要がある。

 銘文の「寺主/良範」に注目しよう。銘文を素直に読めば、寺主である良範は「主君」の追善供養の為に盂蘭盆会に板碑を造立したと考えられる。寺院内部における僧侶の主従関係として主君とは先代の住持あるいは師匠が妥当であろう。このような理解を確かなものにするには鎌倉時代の山田村に寺院が存在したことを証明する必要がある。

(つづく)

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