「川崎・たちばなの古代史─寺院・郡衙・古墳から探る」の著者 村田 文夫さん 市内在住 67歳
考古学と歩んだ半生
○…貴族の氏寺から郡寺へと発展した影向寺、橘樹郡衙の発掘調査の成果などを紹介した著書を、先月(株)有隣堂から出版した。平成5年に「古代の南武蔵─多摩川流域の考古学」を出版しているが、同8年に高津区内の千年伊勢山台から奈良・平安時代の役所であった郡衙の遺構発見が今回、執筆のきっかけとなった。「古代の政治的な舞台である郡衙と宗教の舞台・影向寺が隣り合わせで見つかったことに重要な意味がある。その最新の研究成果を含めて伝えたかった」と熱っぽく語る。
○…昭和18年に梶ヶ谷で農家の次男として生まれる。子どもの頃から歴史に興味があったが「年号や人物の名前を覚えるのが苦手で、テストの点は良くなかった」。野川小、宮崎中、立正高を経て立正大へ。文学部史学科で日本考古学を学んだ。川崎市役所に勤めていた叔父の勧めもあり、昭和40年に同所の職員に。当時の日本は高度経済成長期。高速道路や住宅の開発に伴い、遺跡の調査や保護の専門職が市町村で活動を始めていた。面接で「考古学を専攻していた」の一言で教育委員会文化財課に配属。以来25年間、文化財の仕事に従事した。市民ミュージアム学芸員、市日本民家園長なども務めた。
○…「30代、40代は区画整理など開発ラッシュで毎日仕事が山積みだった」と振り返る。「でも自分の専門職を活かした仕事はとてもやりがいがあった。市内の遺跡の保存にも関わることができ、川崎市には感謝しています」と優しく微笑む。現在は論文の執筆のほか、高津市民館や市内のサークルから依頼を受け、歴史講座の講師を務めるなど充実した日々を送る。
○…考古学の魅力は、の問いに「遺跡を見て、自分なりの推理を働かせ歴史を復元していくところ」。さらに「古希まで後2年。それまでに調べたことを出来る限り活字にしていきたい」と笑顔で語った。夫人との2人暮らし。
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市政レポート
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