平和人権学習・公開講座「戦争を語り継ぐ わが街にも戦争があった」が3月10日、幸市民館で開かれた。戦後70年という節目の年を迎え、区内での戦争体験者に当時の記憶を語り、後世に引き継いでいここうと幸市民館が企画した。
当日は語り手と聞き手約20人が参加。語り手は当時小中学生だった野口始男さん(78)、相沢正行さん(83)、高橋芳雄さん(82)、佐藤房江さん(84)の4人が務めた。
疎開、空襲を鮮明に記憶
当時、南河原の辺りに住んでいた野口さんは、小学3年生という最年少での学童疎開の経験を語った。伊勢原市の大田小学校に疎開した野口さんは上級生から食べ物を取られないよう必死に戦った記憶や艦載機が頭上を飛ぶ恐怖を語った。また、1945年4月15日に川崎市最大規模の空襲が発生し、多くの死者が出た都町ロータリーの悲劇を、資料を交えて話した。
小学6年生という最年長での学童疎開を経験した相澤さんは、伊勢原市の大山に疎開。「出発時に1、2年生が小旗を振って送り出す姿を想い出すと今も涙がこみ上げる」と声を震わせた。卒業式が出来なかったが、63歳の時、約50年ぶりに御幸小学校の卒業式を行うと多くのメディアに取り上げられたという。
下平間在住、当時川崎区に住んでいた高橋さんは、3月10日の東京大空襲では東の空が真っ赤になっていたことを今も鮮明に覚えているという。ただ一番の衝撃を覚えていたのは4月15日の川崎空襲だという。直前に声をかけられた近所の女性が空襲で亡くなり、「まっ黒こげで首がない死体を見たのは初めて、悲惨な光景は今まで忘れられない」と話した。
当時中学生だった佐藤さんは、川崎空襲の際に3発の焼夷弾が周辺に落ち、母や弟が犠牲になった。「延命時にはたくさんの遺体があり、人生を変えるほどの経験だった」と語った。そして、「私達よりも父親世代の話を聞いておけば良かった」と話し、「戦争を知っているのは私たちの年代が最後。経験を語ることで戦争の悲惨さが分かってもらえれば」と締めくくった。一人30分の持ち時間だったが、4人ともすべてを語ることができない程、戦争に対する想いや悲惨な体験談を鮮明に記憶していた。
下平間から来た36歳の男性は「身近な場所で戦争が行われていたことを知りたかった。子どもたちにこの話を伝えていきたい」と話していた。
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