戦後70年経った今年、戦争の悲惨さを語り継ぐため、区民の体験、区内の風景を通して、幸区に残る戦争の記憶をたどる。戸手で生まれ育った相澤正行さん(82)は「戦争で人生が変わった人は大勢いた」と体験談を語る。
戦争が激しくなっていた1944年、相澤さんは「戦争は外国でするものだと思っていたが、川崎が戦場になってしまった」と戸惑った少年時代を振り返る。
御幸小学校に通っていた相澤さんは小学6年当時、3年生以上の児童全員で伊勢原市の大山に疎開することになった。出発する時、2年生以下の児童が小旗を振って見送ってくれた姿は今も鮮明に浮かぶという。
川崎駅から南武線で登戸駅へ、そこから小田急線に乗り換え伊勢原駅まで行き、駅から大山まで歩いた。そして、疎開先での生活は過酷だった。「6年生は寒い中、薪を取りに行き、下級生の世話もしなければいけなかった。そして手旗信号や行進の訓練など軍人になるための訓練をしていた。あれが軍国日本の小学生の姿だった」と話す。
疎開中、父親が伝染病で亡くなり、終戦後は物価の高騰により中学を辞めざるを得なかった。「十分な教育が受けられず、とても悔しかった」と話し、「戦争によって希望通りにいかない人は多かったでしょうね」と静かに語る。
戦後、相澤さんは現在の京浜急行に就職した。給仕から駅員、車掌、運転士として勤務し、高度経済成長による日本の復興とともに、定年後も67歳まで関連会社に勤めた。
五十年目の卒業式
家族にも恵まれ、「満足する人生だった」と振り返る相澤さん。戦争により御幸小学校の卒業式は行われなかったが、戦後50年が経った1995年、63歳の時に同小で卒業式を実施した。相澤さんら同級生有志が参加者を募り、38人が出席した。相澤さんは「テレビや新聞など多くのメディアに取り上げられた」と懐かしむ。そして、「37歳の時は夜学で法政大学に通い卒業した。この2回の卒業が私にとっての宝」と胸をはる。(続く)
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