「談志スタイル」支えた40年 淵野辺に天才落語家行きつけの美容室
先月21日に死去した落語家で元参院議員の立川談志さんが髪型を一任した美容師が、淵野辺にいた。美容室CAROL・21代表取締役・梶原公和さん(59)がその人。家族ぐるみの付き合いだった梶原さんが見た、談志さんの素顔とは――。
散髪してから4カ月もすると都内の自宅から電車で1時間以上かけ、ひょっこり施術に訪れていた談志さん。施術時間はおよそ60分から90分。カット後にカラーリングし、マイクロスコープで頭皮をチェック、仕上げにヘアエステをするのが定番メニューだった。しかも、スタイルは全部おまかせ。「好きなようにやってくれ」が口癖で、鏡の前に座るととにかくしゃべりにしゃべって、周りを笑いの渦に巻き込んだ。
梶原さんが談志さんと出会ったのは40年以上前。母で美容師のヒサさんが美容師講習会に参加した際、講師に招かれた談志さんと知り合ったことから、家族ぐるみの付き合いになった。その後、梶原さんが都内に出店したことを機に、談志さんのいきつけのスタイリストに。淵野辺に移転してからも、その関係は変わらなかった。
「最初はすごく緊張した」と梶原さんは振り返る。イメージを大事にし、くせ毛を活かしたスタイルや後ろ髪の金髪など、梶原さんは次々にアイデアを出した。参院議員時代は柔らかさを出そうとパーマをかけるなど、施術では常に談志さんを一番に考えた。
施術が終われば、きまって淵野辺のすし店などで食事会。貴重な小話まで聞かせてくれることもあった。しかし、梶原さんが異変を感じたのは今年6月。いつものように施術をしていると、談志さんは思い出話にふけった。「やけに話すなあ」と思ったという。そしてその日が、談志さんの最後の来店となった。
「またふらっと来てくれそう」
「そんなに症状が重いとは思わなかった。早すぎる」とエステなどを担当した妻の美世子さん。子どもの心配をしてくれたこともあり、「とても優しい方でした」と話すと、梶原さんは目に涙を浮かべながら「またふらっと来てくれそうだよ」と心境を語った。
行きつけとして遠路足を運んだ談志さん。希代の名落語家は、淵野辺に温かい時間とたくさんの思い出を残し、旅立っていった。
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