12月1日(木)から5日(月)まで、相模原市民ギャラリーで日本画の個展を開催する 中里 澪子さん 緑区大島在住 80歳
”第二の青春”で日本画に開眼
○…初の個展開催から10年。当時から「傘寿(さんじゅ)でもう一度やる」と決めていた。今回、その思いが実現。10年間で描いた80数点を出品する。また、描く楽しさを伝える、ちょっとした仕掛けも用意。「前回は、来てくれた人にも、その場で絵を描いてもらったのよ。今回、それも一緒に展示するつもり」と声を弾ませる。
○…絵筆をとったのは58歳のとき。それまでは、「女学生のころ、祖父に連れられて日展を毎年見に行っていたけれど、描いたことはなかった」。シニアの市民講座「あじさい大学」OGが集う同好会に、親類から誘われたのがきっかけだった。以来、市内の日本画家・故吉川啓示氏、黒沢正氏に薫陶を受け、平成14年、石垣に囲まれた中国の村を描いた「川底下村」で、日本美術院展覧会(院展)に初入選。さらに、その後も2度の入選を果たし、平成19年には院友に。
○…若いころは、絵ではなく音楽に深く親しんでいた。国立音大の予科を卒業後、市内の中学校で教鞭をとっていた。伴侶の泰史(ひろふみ)さんとは、赴任先の上溝中での同僚だった。「いつも明るかったから、子どもたちから『ひまわり先生』なんて呼ばれてましたよ」と泰史さん。退職後も4人の子どもを育てながら、20年あまり、自宅でピアノ教室を開いていた。
○…2年前、中国を旅行中、脳梗塞で倒れた。的確な処置で麻痺などの後遺症は最小限にとどまったが、片目の視力を失った。だが、それ以降の作品は、周囲から「枠に収まらず、より描きたいものを気持ちのままに、自然に描くことができるようになった」「院展を乗り越えた」と、画風の進化を指摘されるように。「大きな作品や人物画は厳しくなったけれど、その分、気楽に描くようになったかも」。先日も、横浜美術協会展に出品したばかり。「吉川先生の『絵は下手でいいぞ』という言葉が今も支え」。創作意欲は湧き続ける。
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