特別企画 8.15 終戦の追憶 強く、懸命に生き抜いて 荒井 文枝さん(87) 田名在住
今年もまた、8月15日の終戦の日をむかえます。そこで今回は、相模原での戦渦を知るお二人にお話を伺いました。改めて、当時の様子を振り返ります。
けたたましいサイレンの轟音があたりいっぱいに響き渡ると、仕事の手を止め、地面に掘ったタコツボに身を隠す。恐怖で身体が震えた。毎日のように続くB-29による空襲。終わりが見えない。すぐ近くに、爆弾が落ちた。破片が飛び散り、爆風に包まれる。「あれはもう、二度と経験したくない。本当に、生きててよかった」
水郷田名で生まれる。たくさんの愛情を注いでくれた両親を、早くに病気で亡くした。幼い頃から兄妹8人で、日々を懸命に生きた。遊びや喧嘩…兄妹同士が当たり前に経験するはずの日常はそこにはなく、兄、弟は兵隊に、姉は働きに出る。着るものは何もない。何も買えない。食べていくのに、必死だった。
相模陸軍造兵廠(一部が相模総合補給廠として現存)で、部品の検査係を務めた。水郷田名の実家から自転車で1時間掛けて通い、午前は青年学校で勉強し、午後は必死に働く。それでも、無慈悲に繰り返される空襲が自由を奪い、ろくに仕事はできなかった。その後、造兵廠の検査係は津久井に疎開。1年もたたないうち、終戦を迎えた。「毎日毎日、本当に大変だった。戦争はあってはならないもの」
戦後、しばらくは食べ物に不自由した。働き手不足で、収入がない家庭も多かったが、少ない配給で食料や物資をまかなった。みんなで手を取り、助け合う。和裁、お花教室…習い事にも通った。一歩ずつ、一歩ずつだが、前へと進んでいった。
来年、米寿を迎える。ひ孫にも恵まれ、笑顔あふれる家族に囲まれている。「戦争の無い、明るい未来が訪れてほしい」。ただひたすらに願う。
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