今も続く「福島」の葛藤 機関紙寄稿者が現状綴る
東京電力福島第一原発事故から丸3年。放射能の人体への影響ははっきりしないまま、福島県をはじめとするエリアでは、未だ多くの人々が不安を抱えながら毎日を過ごしている。原発問題などについて全国から寄せられた意見・感想をまとめた機関紙「I*do!」(通称・イド)の発行を続ける仲田博康さん(69)=南区東林間在住=は、「『福島』は今も続いている」と現況を憂える。
同紙は月1回発行。原発や環境、平和などについての、個人や市民団体の意見がまとめられている。3・11以降は福島県で被害に遭った人たちの声を中心に構成している。「被災した人たちの考え方は極端かも知れない」。寄せられた様々な意見を受け止めながら、仲田さんはそう感じている。「できるだけ放射能のことにはふれたくないという人と、逆に過敏な人。意見が両極になっているようだ」
『震災当時の事を思い出して文にしたり、話すことは古い傷からまた血がにじみ出るように辛い』(2月15日発行号より引用)
福島市内に住む女性はそう綴る。しかし、事故が風化しないよう伝え続けるために筆を執った。女性は事故後、親戚の住む山形県への避難を考えたが、家族が離ればなれになることを受け入れられず、福島に残ることを決心。3年が経ち、ベランダには洗濯物がはためき、街は震災前の姿を取り戻したかのように見える。
『しかし、目を移せば近所の家々には足場が組まれ、多くの作業員が除染活動をしている(中略)元には戻っていないのだ』(同)
福島市や郡山市と比べ低汚染とされる鏡石町(かがみいしまち)在住の女性は震災後、腹痛で目覚め下痢で始まる一日が3年続いている。首筋のリンパが腫れ思考力などの低下が顕著に感じられるという。
『これらの自覚症状は不明瞭だし検査しても異常なしと言われ、単に加齢によるものかも知れません。(中略)でも何が起きていても被曝が原因とは証明もできず、「放射能のせいかも?」と思い続けていること自体が大きなストレスになっていて、ここに低線量被曝のやっかいさがあります』(同)
先き行きが見えず葛藤する日々。仲田さんは、「福島の状況は全然変わっていない。そのことを認識して活動していこうと思う」と話した。
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