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史実の裏に隠れた声代弁 過去の過ちを「教訓」に

社会

公開:2015年7月30日

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 1931年の満州事変に始まり、15年にも及んだ戦争に巻き込まれた人々やその痕跡を約40年にわたって撮り続けてきた区内田名在住の写真家・江成常夫さん。74年に毎日新聞社を退社後、フリーとなり渡米。戦後、日本に駐在する米軍兵と結婚後、夫ともに海を渡った「戦争花嫁」に出会い、涙ながらに母国に対する思いを語る姿にほだされる。これを機に旧満州に取り残された「戦争孤児」や原爆被害者などのもとを訪ね、声なき声を拾い続けてきた。

 数ある江成さんの著書の中に、真珠湾攻撃から沖縄戦まで3年8カ月にわたった太平洋戦争を記録した『鬼哭(きこく)の島』がある。江成さんは、その中でミッドウェー海戦から生還した市内緑区出身の中島清さんを取材している。

 中島さんは、海軍三等水兵として、海軍軍人の憧れの的だった航空母艦「赤城」に乗船。乗組員に行き先も告げぬまま目標海域に向かった「赤城」は、零戦機や爆撃機を次々に出撃させるも、反撃体制を整えていた米軍の攻撃を受けた。『「夜が明けたら波が凄いんだよ、海がしけていて。そのうち戦闘が始まってな。(中略)目の前で空中戦が始まって、落とされた戦闘機の搭乗員が、日本もアメリカも艦の目の前の海で、首だけ出してあっぷあっぷやってんだよ」』『「甲板にいた整備兵なんかは、爆弾や火傷で殺られているし、息をしているのがいても助ける余裕なんてない。こういうときは、上官も部下もない。ただ夢中で自分の身を守るだけだったよ」』。軍は、「日本軍の惨敗」を隠すため、生還した中島さんを家族に会わせることはおろか、『千葉県・木更津の兵器廠跡の寮のようなところ』に入れ、『南方行き』を命じたという。

 江成さんは、当時の中島さんの様子を「終始、静かに語っていた」と振り返る。中島さんに限らず、戦争経験者の多くは、当時のことを落ち着いて淡々と語ることがほとんどだという。『生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ―従容トシテ悠久ノ大義ニ生クルコトヲ悦ビトスベシ』とする戦陣訓があったように、生きて帰ることが恥ずかしいことであった時代。「助かってしまった」後ろめたさや亡くなった人への申し訳なさが語り手をそうさせ、本来喜ぶべき「奇跡的生還」に対する喜びを表現するのをためらわせることに戦争のむごさがあると江成さんは語気を強める。

 「過去の過ちを真摯に受け止めることが人間の仕合わせにつながる」。戦争に翻弄され、史実の裏に隠れ、声を挙げたくても挙げられない人の声を掘り起こし、写真で代弁することが今後の「教訓」となると信じ、邁進してきた江成さん。戦後70年を迎える今、再度、過去を振り返り、未来の平和につなげようと気持ちを新たにする。

参照:『鬼哭の島』江成常夫著/朝日新聞出版
 

江成常夫さん
江成常夫さん
コレヒドール島の米軍司令部の廃墟(2011年11月/江成さん撮影)
コレヒドール島の米軍司令部の廃墟(2011年11月/江成さん撮影)

戦後70年 語り継ぐ戦争の記憶

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