市教育委員会はこのほど、土器3点を新たに市指定文化財に指定した。今回指定されたのは縄文時代前期、弥生時代中期、平安時代中期の土器。市文化財保護課は「生活様式や他地域との交流が分かる考古史料であり、市の歴史を知る上で重要な意味を持つ」と評価している。
縄文時代の土器は、田名塩田遺跡群から出土。形状や文様が石川県で数多く発見されている真脇式土器に酷似しており、当時の北陸地方との交流の可能性が推測される。土器の表面が黒く焦げているため、煮炊きに使用されていたと考えられている。
弥生時代の土器は中野大沢から出土。数少ない市内で出土した弥生土器の中でも極めて状態が良いとされる。壺の形状をしており、胴部には穴が開いている。市では、この土器は骨壺として使用され、穴は魂の抜け道として意図的に開けられた可能性があると推測している。
平安時代の土器は苦久保遺跡第3地点から出土。内側と外側に「大」の字が朱書きされている。鎌倉時代の説話集「宇治拾遺物語」では、朱書土器は呪いの意味があるとされているため、この土器も非日常的な用途であったことが示唆される。ただ、出土した地はこれまで農民の集落だとされていた場所で、市では読み書きができる人がいた可能性は低いと指摘する。加えて、地理的視点から同地が甲斐国や武蔵国へ行くための交通の要所として機能し、役人らが常駐していたことが可能性の一つとして考えられるとしている。
なお、市立博物館(高根)では12月28日(金)まで土器3点を特別公開している。展示に関する詳細は同館【電話】042・750・8030へ。
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